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芭蕉の俳句(101)

木曜日、。旧暦、6月18日。

洗濯物がよく乾いた。今日は、シャワーを2回浴びた。暑かった。

サイバーが難航。前回訳した『インターネット時代の表現の自由』を友人に送って、感想を聞いたところ、「翻訳書だから読みにくくても仕方がない」というコメントが返ってきた。ぼくを慰める文脈で語られた言葉だが、今回訳している『サイバープロテスト』では、まさに、このコメントの克服こそ、最大の課題にしている。可能限り書き下しの日本語に近づけること。波は大きく小さくひっきりなしである。

昨日、報道ステーションで北朝鮮のコッチェビについての特集を観た。北朝鮮が外交ゲームの中の一プレイヤーとして、あるいは日本の脅威として、国連や新聞、ネットメディアで語られるとき、「北朝鮮」は一つの記号になっている。このタイミングで、この国の具体的な生活イメージを報道することは2つの意味があると思う。この国の体制の非人間性に改めて怒りが湧いただけではなく、「北朝鮮」がパワーゲームの一プレイヤーである前に、こうしたコッチェビやおばちゃん、おっちゃん、おねえちゃん、おにいちゃんの喜怒哀楽から構成されていることに思いを巡らせる効果があると思うからである。外交ゲームがいさましいときほど、ゲームの中心国の具体的な生活イメージを報道することが、大事ではないか。



波の間や小貝にまじる萩の塵   (奥の細道)

「や」は音楽的な「や」で、「波の間の小貝にまじる萩の塵」と同じ意味だろう。一つの素材を詠んだ一物仕立ての句であろう。小貝と萩の花屑を取り合わせる繊細な詩情に惹かれた。「波の間や」で一呼吸あるために、波が寄せては返す、その間が無音の音楽として視覚的に現れ、そこに小貝とともに萩の花がまじりこんでいる様子がイメージされる。そして、また、波の音が聞こえてくる。

キーンは、どう英訳したろうか。


What do the waves bring?
Mixed in with little shells,
Bits of clover blooms.


(日本語訳)

波が運ぶものはなに?
小貝にまじる
萩の花屑

■モノローグがダイアローグに変わって、ニュアンスに若干違いが出たが、これはこれで可憐な詩ではないだろうか。

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