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世界リスク社会論(1)

水曜日、。旧暦、6月24日。

終日、仕事。急ぎの仕事が入ったので、サイバーを中断して取り掛かっている。昨日も寝たのが遅かったので、気合が入らない。そのため、音楽を聴きながら作業をした。ジョン・スコフィールドがレイ・チャールズに捧げたアルバム「THAT'S WHAT I SAY」。それでも、午後になると、どうも気合が抜ける。そこで、「頭脳カン」なるものを試してみることにした。まあ、酸素の缶詰(酸素濃度95%)である。10秒ぐらい思いっきり吸い込む行為を何度か繰り返すと、30秒後くらいに若干効いてくる。あくまで、若干であり、劇的ではない。これなら、モカ錠の方が効きはいい。ただし、多用すると眠れなくなるが。



ドイツの社会学者、ウルリッヒ・ベックの『世界リスク社会論』(平凡社 2003年)を読む。この本は、表題になっている「世界リスク社会論」という同じ切り口で行われた二本の講演を一冊にまとめて訳出したものである。だが、この切り口がまず分かりにくい。

ぼくが読んでわかりやすかったのは、2つの近代化という考え方だった。これは、近代化は2段階で行われるという議論である。第一段階は、単純な近代化で、通常の意味での産業化を中心にした近代化のことで、第二段階の近代化は、第一段階の近代化が行き詰まって生じるもので、第一の近代化を反省する段階で生まれた近代化である。ベックは、この近代化をreflexive Modernisierung(「再帰的近代」あるいは「反省的近代」)と呼んでいる。第一段階の近代化に対応する社会のありかたが「産業社会」であり、第二段階の近代化に対応する社会が「リスク社会」と呼ばれる。

【リスク社会】リスク社会とはどんな社会か。以下、訳者解説を参考にしながら、ベックの考え方をまとめてみる。リスク社会とは、産業社会が、環境問題、原発事故、遺伝子工学など見られるように、新しい段階に入り、これまでとは質的に異なった性格を持つようになった社会のことである。これまでとどう異なっているのか。ベックは、こんな言葉を述べている。「困窮は階級的であるがスモッグは民主的である」環境汚染や原発事故といったリスクが、階級とは基本的に無関係に人々に降りかかり(だが、リスクと階級が完全に無関係になったとは主張していない)、逆説的な平等性を持っていること、チェルノブイリに示されるように、世界規模での共同性を持っていること。この意味で、リスク社会は世界性を持っているということ。

【コメント】原発のようなリスクは、確かに階級とは無関係であろうし、グローバルなリスクであろう。だが、光化学スモッグのリスクは、たとえば、スモッグの来ない地域に移住する経済力があるかどうかや移住可能な職業かどうか、年金生活に入っているかどうか、家族状況が移住を可能にするかどうかなどで、リスクの程度は違ってくるだろう。遺伝子組み替え作物や環境問題のリスクは、天皇家のように、独自の畑から収穫するシステムを持った人々には、リスク程度は、低減するだろう。ついこの間のハリケーン、カトリーヌの被害も貧困地区に集中した。リスクの大きさは、階級が規定すると言えるほど、単純ではないが、少なくともリスクは「逆説的な平等性」を備えているとは言えないのではないか。リスクというくくりで、すべてのリスクを一括することには無理があるように思う。そのように考えると、リスクを規定する多様な要因への眼差しを遮ることになるのではないか。むしろ、一般的に定式化するとすれば、「産業社会のリスク」と「リスク社会のリスク」が多様に結合していることが現在のリスクの最大の問題であるように思う。

以上のように、ベックの論点「リスクの平等性」には、疑問が残る。「リスクの不平等性」が依然として残っているように思う。ただ、もう一つの論点「リスクのグローバル性」は、リスクによっては言えるのではないだろうか。市場が地域市場から世界市場に統合され、規制緩和が基本線になったことで、たとえば、狂牛病のようなリスクはすぐに世界に拡散する。放射能の越境性という特徴から、原発事故はすぐに世界的な問題になる。こうしたリスクの二重性は、サブポリティクスの有効性の問題とも関連してくるように思う。

ベックの議論は、いくつかの重要な論点があるので、いくつかに分けて検討してみたい。



世界リスク社会論 テロ、戦争、自然破壊 (ちくま学芸文庫)
クリエーター情報なし
筑摩書房








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