goo

芭蕉の俳句(100)

水曜日、ざんざんの。旧暦6月10日。

不思議なもので、活字ワープロの電子データだと、結構、かっこいいことを書いているが、手書きの日記だと、愚痴や嘆きや怒りが多くなる。どういう現象だろう? 手書きノートの方が、安んじた世界なのは確かなようだ。活字になると、ブログのように、他者の眼をどこかで意識するからだろうか。活字体という近代的な形態には、愚痴のような前近代性は合わないのか。面白いことだ。書道で自分の愚痴を書くこともないから、やはり、ペンやボールペンなどの手書き文字は、文字体としての制度的な側面がワープロ活字や書道よりも弱いので、その分、自分の生理がより多く出てくるのではないか。生理に近いからといって、それが「真実」というわけでは必ずしもないのだが。

石山の石より白し秋の風    (奥の細道)

■楸邨によれば、「秋」を「白い」と感覚する感受性は、芭蕉オリジナルではない。『増山井』に「白蔵」、『糸屑』に「白商」、『滑稽雑談』に「白帝」を「秋」に意味で使用している(以上加藤楸邨著『芭蕉全句』中から)。また、秋の風は、金属的な捉え方をされることも多く、「金風」=秋風、「金気」=秋気という言葉もあり、万葉集では秋風の意味で「白風」の字を当てている(以上『新編日本古典文学全集 松尾芭蕉①』から)。

一読すると、この句は、石山の石の白さに比較して秋風の白さを強調しているように思える。楸邨も、新編古典文学全集もそういう解釈である。けれど、何度も読むと、石山の石の白さが却って際立って感じられてくる。それは、当時、ここ、那谷寺の石山が近江の石山寺の石山よりも白いと有名だったからではなく、端的に、イメージ喚起力の問題であるように思える。石山の石の白さはイメージできるが、秋風の白さはイメージできない。秋風=白いという言葉の使い方は、当時の教養ある人なら了解可能だったろうし、現在でも、可能だろう。けれど、その了解基盤は、文学史的な伝統にある。白い秋の風は、伝統的なレトリックである。一方、石山の石の白さは、物(つまり生活経験)で担保されている。文学史的なレトリックと生活経験が俳句の中でぶつかったとき、生活経験でレトリックが強化されるのではなく、レトリックで生活経験が強化されるのではないだろうか。すべての詩について言うことはできないが、少なくとも俳句では、生活経験の方がレトリックよりもイメージ喚起力が強いように思うのである。

では、キーンはどう理解したろうか。


Whiter, whiter than
The stones of Stne Mountain―
The autumnal wind.


(日本語訳)

白い、白い
石山の石よりも―
秋の風は

■キーンは、次のような興味深い脚注をつけている。「この句は、那谷の石は琵琶湖近くの石山寺の石よりも白い、と言おうとしている、と解釈される。しかし、石山寺の石は黒いので、たいていの寺の石はそれよりも白いだろう。この点を踏まえなければならない。道教では、秋は白で表す」(訳文は、若干変えた)

原句は、秋風の描写であるから、素材は一つで一物仕立ての句である。「石山の石より白し/秋の風」の切れは音楽上必要な切れであろう。キーンの秋風の前のダッシュは、そこに切れがあるようにも感じられ、違和感が残る。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )