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コミュニケーション的理性

日曜日、。旧暦、6月14日。

朝から、ずっと、読書。読みかけの本、中岡成文『ハーバーマス』(講談社)を一気に読んでしまう。とてもわかりやすく面白い本だった。ハーバーマスの思想の概略を、日本の現実を織り交ぜながら、語っている。ハーバーマスに関心があるのは、フランクフルト学派の第二世代を代表する思想家であるからだが、オリジナルテキストはとっつきににくくて、ほとんど、読んでいない。どのあたりから読むべきなのか、とっかかりが欲しくて、この本を読んでみた。

ハーバーマスは、論争しながら、自分の社会理論を深化させるという独特のスタイルを持っている。理論的にも、実践的にも、コミュニケーションを最大限有効に活用する思想家なのだろう。この本を読んで、ハーバーマスの社会理論を理解できたという気はさらさらないが、いくつかポイントになる考え方は、はっきりしたように思う。

メモレベルの話になるが、ぼくが、ハーバーマスの社会理論に感じた疑問を以下に箇条書きにしたい。

① コミュニケーション的理性について。従来のモノローグの理性に代わってダイアローグのコミュニケーション的理性というアイディアは、非常に斬新で共感できる。しかし、以下の点はどう考えているのだろう。第一に、この考え方が出てきた背景には、欧州の多民族社会という現実、最近では、イスラム圏からの移民の増大があると思う。この歴史を踏まえると、コミュニケーション的理性がうまく作動するには、特定の社会的条件が前提になると思う。たとえば、他者は自分とは異質だという自覚・感情を交えずに議論できる能力・問題に対する専門的な知識と判断力・議論をすることに慣れていること・言葉を重視した文化など。日本で、コミュニケーション的理性が十全に作動するには、あまりにも障害が多いと思う。そもそも、言葉によるコミュニケーションを「ことあげ」といって低く見る文化や同質な社会、議論と喧嘩の区別がつかない感情的な土壌など。こういった条件を変えなければ、コミュニケーション的理性はうまく作動しないし、変えれば、日本の精神風土そのものを変えることになるだろう。欧州の多元社会という歴史があって初めて、実現条件が整う可能性のある理性ではないか。

第二に、コミュニケーションに関与する当事者をだれがどう決めるのか、という問題がある。これは、たとえば、外交問題のように日本国民全体が当事者になり得る問題の場合、コミュニケーション的理性による合意の結果、北朝鮮との全面戦争というシナリオもありえなくはない。それとも、全員の意見の一致が必要であれば、その間、北から核弾頭付ノドンが降ってくる可能性もないことはないだろう。つまり、当事者資格の問題(問題の複雑さによる専門的な判断能力の必要性)と討議時間(問題解決時間)の問題をどうクリアするのか。

② これとの関連で、ハーバーマスは、理性を普遍妥当的なものであるから、地球規模の多元的な文化にも適用可能だと述べる。しかし、先に見たように、コミュニケーションは、人間を変質させる。良くも悪くも。つまり、伝統をコミュニケーション的理性は変容させる可能性がある。この問題をどう考えているのだろうか。多元的な文化を維持しながら、コミュニケーション的理性を作動させることはできるのかどうか。あるいは、コミュニケーション的理性を生んだ西欧文化は、他の文化よりも問題解決能力が高いということで、他地域の伝統の変容を正当化できるのだろうか。コミュニケーション的理性が作動することで、伝統的な生活世界が逆に、この理性の植民地になる危険性はないのかどうか。人間の幸福は、モデルネの方にだけあるとも限らない。

③ ハーバーマスは、人間には、対話し行為する能力が備わっていると言う(これも複数の社会的条件といくつかの幸運が重ならないと実現しないと思う)。確かにそういう面はあるだろう。だが、人間は、言葉だけでコミュニケーションしてるわけではない。根拠は言えないが、とにかく嫌だということはあるし、そういう言葉未満のことを大事にすべきではないのか。逆に、言葉になった瞬間に別の何かに転化してしまうことも多い。端的に言って、身体性がハーバーマスの議論には欠けている。つまり、合意とは言葉で行うものであるが、言葉による合意が身体の示す何かとは異なる可能性がある。言葉にならない何かの方にこそ重要な理性的要素が宿るのではないか。ハーバーマスが「反啓蒙」と切り捨てるものの中にこそ、モデルネを補完するものがあるのではないか。

ぼくの解釈なので、ハーバーマスを誤解している面もあると思う。うまくまとまっていないが、以上のようなことを問題意識にしてハーバーマスのテキストを読んでみたいと思っている。ハーバーマスは、マルクス以降、哲学は社会理論に取って代わられたと考えている。ドイツのように、哲学的・理論的伝統のある国で思索をするハーバーマスを、国家が近代化プロセスの引き金を引き、アメリカ主導のグローバリゼーションに巻き込まれた日本で読むことの意味を考えるのも大事なのかもしれない。



ハーバーマス (「現代思想の冒険者たち」Select)
クリエーター情報なし
講談社






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