国境の南から太陽の西へ 3日目

2011年09月01日 23時59分59秒 | 旅行記
銀山駅での駅寝で9月を迎えた。
さすがに北海道の夜明けは早く、4時を過ぎると空がもう青白い。まだ虫も飛び回っていなかったので、外に出て付近を散歩してみることにした。


駅は高台に位置しており、夜が明けるにつれ視界が広がってきた。ずっと奥の農村地帯まで見渡せるところが素晴らしく、見とれているうちに谷川俊太郎の「朝のリレー」を思い出した。今日も世界のどこかでは知らない誰かが目覚まし時計をセットして眠りについているのだろう。その瞬間、僕は確かに一日を走るバトンを受け取ったのだ。

駅前の道を歩いていると、思った以上に蛾が多いことに驚いた。多くは夜行性のために朝になるとじっとしているのだが、それが所構わずじっとしているため、足元に注意して歩かなければならなかった。夏場の駅寝にはこういった問題点も付きまとう。駅舎の待合室が締切可能な構造でほんとうに良かった。
因みに、この蛾たちとは旅の最終日まで連日遭遇することとなる。彼ら彼女らが明かりを求めるのと同じように、僕も何かしらの楽しみを求めてこの夏の終わりを謳歌するのだと思った。


外の明るさが増してきたので、駅に戻って太陽が昇る瞬間を待った。
北海道で迎える初めての朝だった。山と雲の間から日輪が神秘的に姿を現し、その様子は僕を無意識に安心させた。

銀山5:49発→小樽6:34

そして5時49分、倶知安方面から小樽行き「迎えの列車」がやって来た。昨日と同じキハ150-15だ。
昨夜多くの下車客があった余市からは予想通り多くの通勤通学客が乗ってきたが、彼らは律儀にホームから駅舎内を通り抜けて一列に並んで列車を待っていた。ワンマン列車が前乗り前降りというルールを設けているからこそ生み出される光景であるが、思わぬところで日本人の良さが垣間見えたような気がした。

小樽6:38発→札幌7:24
小樽からは6両編成の新千歳空港行きに乗り換えた。中ほどの1両は指定席の表示があったので先頭まで歩いたのだが、放送によると指定席扱いは札幌からだそうだ。知っていればリクライニングシートに座ることが出来たのだが、閑散とした先頭車も十分居心地が良かった。
ここからの函館本線は列車の本数も多く、札幌通勤圏に当たる。途中の朝里付近では海沿いを走り、鹿児島県を走る日豊本線の竜ヶ水付近と似たような印象を抱いた。また、2006年に正式に廃止されるまで長らく休止状態だった張碓駅の痕跡を探したが、既にホームを含めて全ての設備が撤去されたようであまりよく分からなかった。


札幌に着いた。多方面への列車が発着する大きな駅で、しばらく見ていても飽きなかった。

札幌7:42発→石狩太美8:20着
次に乗る列車まではまだ時間があるので、札幌に来た記念にと学園都市線を往復した。ここは近く電化が予定されている路線であり、それに伴って長編成の気動車の活躍も見納めとなる。車内は「学園都市線」らしく学生の姿が目立ち、列車の写真を撮ることは気恥ずかしかったので乗る方に徹した。これだけ客が乗っているのに、非冷房車が幅を効かせている様子が何処か不思議だった。

石狩太美8:21発→札幌9:02着

本当は北海道医療大学まで往復したかったが、途中の石狩太美でターンして札幌に戻ってきた。
乗った車両はJR北海道では少数派のキハ48だった。車内はオールロングシートに改造されていたが、利用の実情を反映したものだろう。


また、前の2両には51系客車を改造したキハ143系が連結されていた。非電化複線・高頻度運転の学園都市線の主力となっているが、電化後はおそらく撤退するのだろう。

札幌9:30発→千歳10:18着

学園都市線往復の時間潰しを終え、今日の目的地へと移動を始めた。
まずは朝食と、構内の売店で小さめの三色ちらし弁当を買って普通千歳行きに乗り込んだ。水分はご当地の「ニセコウォーター」にした。逆通勤列車のせいか乗客は少なく、あまり周囲を気にせず朝食を済ませることが出来た。

千歳10:31発→新夕張11:48着



千歳からは石勝線直通の普通列車に乗り換えた。北海道の非電化区間の主役と言えばやはりキハ40の単行だろう。冷房装置が無い分、窓を少し開けているだけでも心地よい風が入ってきた。
次の南千歳からは石勝線に入り、東追分辺りからはとうもろこし畑の広がる北海道らしい風景が広がった。

新夕張11:56発→夕張12:22着

新夕張からは夕張支線の列車に乗り換え、しばらくすると夕張に着いた。
メロンに加え、最近では財政破綻で全国的に知られているこの地は、実は高校の修学旅行中に一度バスで通りかかっている。当時の私は「こんな時だからこそ、土産物店にでも寄って夕張の経済に貢献すべきではないか」と、事後のアンケートに書いた覚えがある。あれから4年の月日が流れ、今回ようやく念願が叶った。それも列車での訪問である。

夕張では約一時間の滞在で、時間はちょうどお昼であった。駅の観光案内所のおばさんに尋ねると併設の喫茶店を勧めてくれた。
何か夕張らしいものはないかとメニューを見ると「夕張メロンチャツネカレー(500円)」なるものを見つけた。店員さんによると、夕張メロンのジャムが隠し味として入っているらしい。早速それを注文したが、飲み物とセットで頼んで700円で済んだことに驚いた。こんなに安くていいのだろうか、とも思ってしまった。


味はけっこうスパイシーな方で、その中に微かな甘みが感じられた。


昼食後はしばらく夕張駅付近を散策する。夕張市街の中心部は駅から少し離れているらしく、荷物が重かったために少し歩いた学校の辺りで引き返してきた。今度は3時間ほどとって来ようと思った。

それから、新夕張へ向かう列車の時間が近付いたので駅へ戻った。一応、最初に声をかけた観光案内所のおばさんにお礼を述べて列車に乗ることにした。
「あれで新夕張に戻ります。ありがとうございました。また来ます」
「北海道を楽しんでくださいね」とおばさんは言い、お土産にと石炭シュークリームを渡してくれた。その奇妙な代物は僕の好奇心を高鳴らせた。

夕張13:27発→新夕張13:48着

石炭シュークリームの見た目は石炭そのものであった。1時間くらいすると溶けてきて、ちょうど食べ頃になるのだそうだ。
おばさんに見送られ、いつかの再訪を誓って列車に乗り込んだ。しばらくしてドアがゆっくりと閉まり、列車は思い出したかのように動き出した。


途中の清水沢駅からはかつて三菱炭鉱大夕張鉄道が発着していた。ホームから離れた大きな駅舎がかつての栄華を物語っていた。きっとこの駅では幾つものドラマが生み出されてきたのだろう。




再び、石勝線との乗り換え駅である新夕張で降りた。旧駅名を紅葉山と言い、駅前には復元されたものであろう駅名票が残されていた。
ここから東に向かう場合、新得までの区間は普通列車が走っていないため、特例として乗車券のみで特急列車の自由席に乗車することが出来る。これは青春18きっぷでも同じことで、いつかこの特例の恩恵を受けようと思い、今回は占冠までの一駅だけ特急に乗ることにした。何故一駅なのか、理由は後述する。

新夕張14:14発→占冠14:40着

特急「スーパーとかち7号」は少し遅れてやって来た。これから乗る新夕張と占冠の間は日本一長い駅間距離を誇る。しかし高規格の石勝線、それも特急列車に乗っているとあっという間に過ぎてしまい、あまりその実感を持つことは出来なかった。因みに、先ほどの「石炭シュークリーム」はこの時に食べた。


幾つかのトンネルを抜けて占冠に着いた。高所にあるせいか、晴れていて気温の高かった夕張に比べてこちらは肌寒く、また天気も曇り空だった。
しかし、ホームには無数の蛾の死体が散らばり、歩くのもためらわれる状態だった。水を撒いて退治したのだと思われるが、一部はまだ飛び回っている。恐る恐る跨線橋を渡り、ようやく駅舎外に出ることが出来た。私は蛾自体は平気ではあるが、これだけ数が多いとあまり気持ちの良いものではない。委託の駅員さんが居る待合室の方は掃除が行き届いていて虫もおらず、記念に途中下車印を押してもらった。


滞在時間も僅かに、駅前のバス停から富良野行きの占冠村営バス(870円)に乗り込んだ。
通常、富良野へ向かうには占冠から二つ先の新得から根室本線を経由するのが常套手段であるが、この時間帯は新得からの列車が無いため、一日に三本しかない占冠村営バスだけが効率の良い「抜け道」となる。

占冠駅に来るバスは二種類あり、一方の日高町営バスは駅前ロータリーまで来ているが、占冠村営バスの方は表の国道まで出なければならなかった。委託の駅員さんに聞いておいて良かった。
バスは普通のマイクロバスに整理券発行器と運賃表示器、降車ボタンを取り付けたものだった。乗客はわずかにおばあさんが二人。どちらも常連客らしく、運転手と世間話をしていた。大きな荷物を持って占冠駅から突然乗り込んだ旅行者はさぞかし不審に映ったことだろう。
バスは信じられないような山の中を走り、車窓には緑に紛れた廃屋や東大の研究林が流れた。


バスはいつの間にか根室本線の金山駅付近へと抜け、根室本線の列車とも並走した。バスは金山駅前も経由するのだが、少し遅れていたため、上手く乗り継げるかどうか分からなかったので終点の富良野駅前まで乗ることにした。ここから富良野まで間は集落もそれなりに見られ、少なからず乗降も見られた。


そうしてバスは富良野市街を一回りした後、富良野駅に着いた。占冠とはうって変わって西日が眩しい。
次の列車までは時間があるので、駅前のベンチで本を読んで休憩した。

富良野16:55発→旭川18:16着

富良野線の列車に乗り、いつの間にか寝ていまい、起きると終点の旭川だった。
旭川駅はつい最近高架になったらしく、きれいな高架のホームを慌しく列車が行き交っていた。しばらく撮影をして時間を潰すことにした。


特急「オホーツク」のキハ183系は、編成の片方にスラントノーズの初期車が充当されている。北海道で見たかった車両の一つだ。昨年まで関西でも活躍していたキハ181系を彷彿とさせるけたたましいエンジン音を唸らせていた。

旭川19:30発→名寄20:55着
旭川からは宗谷本線の快速「なよろ」に乗り換える。愛称付きの快速列車ではあるが、キハ40の単行であり、座席はすぐに通勤通学客で埋まった。列車は旭川市街を抜け、闇夜の塩狩峠を越え、士別、風連と停まり、名寄に着く頃には乗客もまばらになっていた。


銀山から一日かけて大回り、終点の名寄に到着した。名寄は日本で二番目に北に位置する市だ。
ここでは「なよろサンピラーユースホステル」に二連泊する。最寄駅は隣の日進駅だが、既に列車が無いのでペアレントの方に送迎をしていただいた。受付時には青春18きっぷを呈示すると会員料金で宿泊出来る。
部屋では兵庫県から来られた方と同室になり、しばらく話しているとその方も青春18きっぷ利用の連泊で、明後日の目的地も同じであることが分かった。僕は翌日には名寄周辺を散策しようと思っていたのだが、天気予報は生憎の雨であることを知った。その方は名寄駅のレンタカーを利用して北を目指されるらしく、ありがたいことにお誘いを受けたので同乗させてもらえることになった。
「僕も学生の頃はいろいろ乗せてもらったから、お金は出さなくてもいいよ」お兄さんは気さくに言った。
旅人同士がこうして出会えるのもユースホステルという環境があってこそだ。ベッドに潜り込んだ僕は途端に明日が待ち遠しくなり、また世界のどこかで一日を始めようとしている誰かにバトンを渡した。

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