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今、最悪の旗印=「自民党」

2009年07月13日 18時08分45秒 | 政治って?
石原都知事の「なんだ、この浅薄選挙は」とか言い出す姿勢が、選挙民を見くびっている証拠なのではなかろうかと思えた。
都知事選で石原を選んだ都民にはそう言わなかったわけだが、同じく「浅薄な選挙」と言っても良かったのではないか、と思わずにはいられない。どうして自分のような人間を都知事に選んだ都民には「浅薄だ」とは言わなかったのか、そのことをよく考えてみるといいのではないか。

今回の都議会選挙というのは、石原親子への一撃となったかもしれないが、彼らの応援していた自民党公認候補の惨敗を見るにつけ、彼らの果たした役割というものについても熟慮する必要があるだろう。石原親子が絡んでさえいなければ、公明党のようにもう少しマシな結果だったのはないか、といった見方も有り得るかもしれない。責任を誰かに押し付けたい場合には、必ず敗戦原因を他人に擦り付けるだろうけれど。
石原親子へのダメ出しだとは決して考えないのが石原都知事という人間なのだろう。自信家にはありがちなのかもしれない。


それにしても、「自民党」という看板を背負っている、というだけで毛嫌いされているかのような状況であると感じることは多いであろう。自民党という旗の下にいるが故に、巻き込まれて敗北を喫してしまう、という悲惨な目に遭ってしまうのである。そうすると、いっそのこと、旗を捨て去ればよい、旗印を変えよう、という動きに繋がってゆくのである。アピールポイントは、「私は自民ではありません!」ということであり、これが最大の武器になっているかのようである。

選挙 - Yahooニュース

記事によれば、『自民党の長崎幸太郎衆院議員=比例代表南関東ブロック=は13日午前、同党を離党することを決めた。同日午後、離党届を提出する。長崎氏は2005年の衆院選で初当選した「小泉チルドレン」の一人。』とのことだが、自民党の旗印を捨てるには丁度良いタイミングだった、ということかもしれない。「さきがけ」は何よりも注目されるからね。
長崎議員は以前から無所属でも出馬を表明していたということらしいので、都議会選挙の結果には関係なく離党していた可能性は高いかもしれないが、それでもこれまでの地方選挙の情勢を見て確信したのかもしれない。「このままでは落ちる」と。逆に、「非自民」であれば、当選可能性は高まるかもしれない、と。


雪崩をうったように、議員たちが出てゆくかどうかは判らない。が、ここまで「嫌自民」の傾向が明らかなのであれば、それなりに考える議員たちが出てきても不思議ではないだろう。


旗印を変えて、まるで「隠れ~」とか「仮面~」みたいに、自民の色をなくすということが生存戦略として有効なのかもしれない。こうなると、政党としては末期的ということになり、自民党としての存在意義は徹底的に失われてゆくであろう。だって、「自民党の公認じゃない方がマシ、当選しやすくなる」ということなのだから。

森田千葉県知事は、そうして誕生した。静岡知事選でも、自公系候補はそうやって色を消して戦った。善戦及ばず敗れはしたけれども。そこそこ有効な戦略なのかもしれない。