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オリオン村(跡地)

千葉ロッテと日本史好きの千葉県民のブログです
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関ヶ原 島津退き口

2013-11-30 22:19:56 | 読書録

関ヶ原 島津退き口

学研パブリッシング

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自分にとっての桐野作人はどちらかと言えば戦国ifシリーズの印象が強いのですが、鹿児島出身とのことで島津氏にかかる歴史小説も多々あります。
蔵書で自宅があふれかえっているとはもう20年以上も前に当時のニフティの戦国フォーラムのオフ会でのお話でしたし、研究者としての側面も強いようです。
そして今回の作品は戦国ifでもなく歴史小説でもなく、遺された一次、二次資料から関ヶ原の戦いにおける島津義弘の退き口、伝説にもなっている敵中正面突破で戦場から薩摩まで退陣をしたその苦難の足取りを、自らの足で追いつつ丁寧に紐解いていくという解説書となっています。

義弘は島津氏17代当主で朝鮮の役にて寡兵で大軍を打ち破るなど剛勇な武将とのイメージが一般的ではありますが、実際のところ島津氏の当主であったかどうかは微妙です。
16代当主で義弘の兄の義久は豊臣政権とは距離を置いて領国に引き籠もったことで島津氏の顔として義弘が引き立てられた側面があり、それを持って義久から義弘への家督継承が行われたとされていますが、対外的にはそうでも島津氏の内部ではやはり当主は義久であり、よって関ヶ原の戦いでの義弘は国元に増兵の指示ではなく要請を行っています。
また義弘は一直前に薩摩を目指したのではなく、大垣城に籠もろうとしたり諦めて切腹をしようとしたりと、そのあたりが家臣たちが遺した資料から読み取れるのは面白いです。
その義弘のモチベーションとなったのが実子である忠恒、後の家久を義久の後継に据えること、そのためには後見としての自らと、忠恒が義久の跡を継ぐに一番の理由である義久の娘で忠恒の正室である亀寿の存在が重要であり、苦しい中でも大坂に立ち寄って西軍の人質だったその亀寿を奪って帰国の途についています。
そういった島津氏の複雑な事情も織り交ぜながらの義弘、そしてその配下の武将、中間、小者に至る生き様は、400年以上も経った今でもその息づかいが聞こえてくるかのようです。


2013年11月30日 読破  ★★★★☆(4点)

 


背番号シャッフル

2013-11-30 17:52:52 | 千葉ロッテ

鈴木の背番号が7に変わりました。
基本的に背番号の変更は好みではないのですが、やはり選手からすれば若い番号は主力の証明との思いがあるでしょうから自然な流れではあります。
西岡が阪神に移籍をしたことで何のしがらみも無くなりましたし、これからチームを背負っていってもらわなければならない鈴木にはいい番号だと思います。
来季は内野の要としてさらなるキャプテンシーの発揮と、守備の正確さに打撃の上乗せを期待しましょう。

また金澤が25に、小池が57に変更となります。
小池には申し訳ないながらも坂道からの転げ落ちが止まらないな、とは正直な思いですが、金澤のそれはかなり意外でした。
伊東監督がそんなに期待をしているようにも見えなかったのですが今季はキャリアハイな成績を残した金澤ですし、里崎次第ではひょっとしたらひょっとするのかもしれません。
球団と伊東監督の思いが一致をしているかどうかは分かりませんし、定詰の例がありますので何とも言えないところもありますが、背番号に負けないよう頑張ってもらいたいです。

さてこの背番号のシャッフルが第一弾で終わるのか、第二弾があるのか、それは涌井の今後次第でしょう。
何をそんなに考える必要があるのかは分かりませんがやや先行きの見えないFA交渉がいつ決着をするのか、中後は気が気でないと思います。
そんな中後の気持ちも考えずに伊東監督が「涌井は16のイメージしかない」とははしゃぎすぎのようにも見えますが、さすがにここから決裂となることもないでしょうし、あるいはその宣言がそうだったように片岡が動くのを待っているのかもしれず、とにもかくにも人的補償がズルズルと春季キャンプまでずれ込むことにならないよう一日でも早い決着を望みます。
そして中後には既に次の背番号の内示がされているものと信じて、それが中後のためにも35ではなく13であることを願います。

 

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2013年通信簿 29 小野晋吾

2013-11-30 01:30:08 | 千葉ロッテ

29 小野晋吾 投手 38歳 年俸8000万円

【2013年成績】 E 15試合 0勝2敗1S 防御率4.97 41回2/3 48被安打 2被本塁打 9与四球 3与死球 24奪三振

小野が20年の現役生活に幕を下ろしました。
3年目にプロ初登板をしてから続けてきた一軍での登板も今季はゼロで終わり、そして浦和でも未勝利でしたので年齢的にも仕方のない決断です。
腰だけではなく肩肘にも不安を抱えての毎日がかなり負担だったとは本人のコメントですので、ファンとしてはお疲れ様、ありがとう、の言葉を贈りたいと思います。
来年からはスカウトとして裏方でチームを支える立場となりますが、小野二世を発掘するようなその仕事ぶりに期待をしましょう。

今季に唯一の鎌ヶ谷での観戦で先発をしたのが小野でしたので、その姿をナマで見られたことは自分にとってはいい思い出となります。
肝心のピッチングはボールに力が感じられず、テクニックで辛うじて芯を外すといった苦しさがあり、また50球程度でコントロールがばらけ気味になるなど一軍に推薦ができるような内容ではありませんでしたので、残念ながら3年契約が切れる今季でユニフォームを脱ぐことになるのだろうな、とは正直な感想でした。
それでも腐らず、気持ちを切らすことなくシーズン終盤まで投げ続けたところに小野の人柄と言いますか野球に対する真摯な姿勢が見て取れますので、それが次のスカウトとしての野球人生でも活きてくるのではないかと、ドラフト6位と下位での指名だったこともあり自信がないと拒否の姿勢だったところで水谷スカウトに説得をされての入団、そして主戦として活躍をした実績はスカウトとしてのこれ以上にない武器になると思います。
その人望の厚さからいつかは指導者としてまたユニフォームを着る姿を見たい小野ですが、まずは笑顔でドラフト指名選手と握手をする姿を楽しみにしています。

2007年通信簿 2012年通信簿
2008年通信簿
2009年通信簿
2010年通信簿
2011年通信簿


【オリオン村査定】 8000万円 → 任意引退 ※9/20に引退表明

 

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