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関ヶ原 島津退き口 |
自分にとっての桐野作人はどちらかと言えば戦国ifシリーズの印象が強いのですが、鹿児島出身とのことで島津氏にかかる歴史小説も多々あります。
蔵書で自宅があふれかえっているとはもう20年以上も前に当時のニフティの戦国フォーラムのオフ会でのお話でしたし、研究者としての側面も強いようです。
そして今回の作品は戦国ifでもなく歴史小説でもなく、遺された一次、二次資料から関ヶ原の戦いにおける島津義弘の退き口、伝説にもなっている敵中正面突破で戦場から薩摩まで退陣をしたその苦難の足取りを、自らの足で追いつつ丁寧に紐解いていくという解説書となっています。
義弘は島津氏17代当主で朝鮮の役にて寡兵で大軍を打ち破るなど剛勇な武将とのイメージが一般的ではありますが、実際のところ島津氏の当主であったかどうかは微妙です。
16代当主で義弘の兄の義久は豊臣政権とは距離を置いて領国に引き籠もったことで島津氏の顔として義弘が引き立てられた側面があり、それを持って義久から義弘への家督継承が行われたとされていますが、対外的にはそうでも島津氏の内部ではやはり当主は義久であり、よって関ヶ原の戦いでの義弘は国元に増兵の指示ではなく要請を行っています。
また義弘は一直前に薩摩を目指したのではなく、大垣城に籠もろうとしたり諦めて切腹をしようとしたりと、そのあたりが家臣たちが遺した資料から読み取れるのは面白いです。
その義弘のモチベーションとなったのが実子である忠恒、後の家久を義久の後継に据えること、そのためには後見としての自らと、忠恒が義久の跡を継ぐに一番の理由である義久の娘で忠恒の正室である亀寿の存在が重要であり、苦しい中でも大坂に立ち寄って西軍の人質だったその亀寿を奪って帰国の途についています。
そういった島津氏の複雑な事情も織り交ぜながらの義弘、そしてその配下の武将、中間、小者に至る生き様は、400年以上も経った今でもその息づかいが聞こえてくるかのようです。
2013年11月30日 読破 ★★★★☆(4点)