電脳筆写『 心超臨界 』

神は二つの棲み家をもつ;
ひとつは天国に、もうひとつは素直で感謝に満ちた心に
( アイザック・ウォルトン )

生きるための杖ことば 《 俱会一処――松原泰道 》

2024-08-19 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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われら楽しくここに眠る
はなれ離れに生れ めぐりあい
短かきときを愛に生きし二人 悲しく別れたれど
いまここに こころとなりて
永遠(とこしえ)に 寄り添い眠る   八十


◆俱会一処(くえいっしょ)――阿弥陀経(あみだきょう)

『生きるための杖ことば』
( 松原泰道、全国青少年教化協議会 (2001/04)、p88 )
  
阿弥陀経に、「シャーリプトラ(舎利子(しゃりし))よ。生ける者どもは、かの仏国土に生まれたいという願いをおこすべきである。それはなぜかというと、かの世界で、実に、このような善(よ)き人たちとともに会うことになるからである」と。浄土の教えを聞いた人びとは、浄土に生まれたいと願うべきである。そのわけは、そこへ行けば、数多くの善き人びとと俱(とも)に会えるからだ――これを「俱会一処」という。

「善き人びと」というのは、阿弥陀如来の教えを聞こうと同じ願いのもとに集まる同行(どうぎょう=道を同じくして法を求める友)を指す。「俱」は、共にうちそろいて――というほどの意味。つまり浄土へ行けば、そこでみんなに会うことが出来る。親子・兄弟・夫婦が再び浄土でめぐり会えるとの「俱会一処」の願いは、愛する者との悲しい別れをかみしめ、同じ念仏に生きる信仰の喜びでもある。

俱会一処は、また「一蓮托生(いちれんたくしょう)」とも転開される。すなわち、死後は俱に極楽に往生して、同一の蓮華に身をあずけるのが、本当の意味の一蓮托生である。とかく「善くも悪くも、行動や運命をともにする」のが、一蓮托生だと考えられているようだが、それは解釈の応用で、本来の意味はさきに記したとおりである。

詩人の西條八十(さいじょうやそ)氏は不幸にして夫人に先立たれた。夫人の遺骨を埋めるにあたり、氏も自分の名を故夫人の名とならべて生前に墓碑に記した。そして墓誌銘に次の詞を刻んだ。「俱会一処」の詩である。

われら楽しくここに眠る
はなれ離れに生れ めぐりあい
短かきときを愛に生きし二人 悲しく別れたれど
いまここに こころとなりて
永遠(とこしえ)に 寄り添い眠る   八十
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