電脳筆写『 心超臨界 』

神は二つの棲み家をもつ;
ひとつは天国に、もうひとつは素直で感謝に満ちた心に
( アイザック・ウォルトン )

真理のひびき 《 真人たらん者は常住心鏡の払拭を――中村天風 》

2024-08-02 | 03-自己・信念・努力
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そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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  [箴言三]

  真人たらん者は 常住心鏡の払拭を心に心して怠るべからず
  要するに心は 全体生命の現実更生の 根本義なるがためである
  To be a Real Man, it is necessary to practice cleansing of his mind incessantly.
  It is because mind is the basis for the actual realization of his whole life.


『真理のひびき』
( 中村天風、講談社 (1996/7/18)、p38 )

「心鏡払拭(しんきょうふっしょく)」ということは、いろいろの言葉で、世界のすべての宗教の経典の中で重要な偈辞(げじ)の一つとなっていることは、たいていの人が知っているものである。

これは要するに、心というものは、相当注意を周到にしても、ややもするとすぐ垢よごれがつく。垢よごれがつくと、たちまち心は消極的になる。

すると、その当然の成り行きで心の積極性が失われ、やたらと、怒りや怖れや悲しみ等、あるいはその他の価値のない感情が、たえず心の中に発生してきて、その人生を極めて向下的にしてしまうからなのである。

しかもこの決しておろそかにできない人生の消息(しょうそこ)は、洋の東西を問わず、遠い往古の時代から、人生を考える人の関心とするところで、したがってそれがすべての宗教の教典の中に訓言(くんげん)となっているのである。

結論的にいえば、心の状態が向下的になると、心というものには、生命確保の根本的作用を行っているという大切な事実が厳存しているために、その必然的な結果として、全体生命の存在状態が、極めて力弱い状態になる。

すると、当然、健康や運命を把握しているコイルの絶縁体が溶けたのと同様になって、人生の毎日が、全く活きがいを失ったものになる。

というのも、先述したとおり、心鏡の払拭を蔑(ないがし)ろにすると、心が常に感情の奴隷になってしまって、克己心も忍耐力も無になって、ちょっとしたことにも、すぐカーッと上ずってしまう。そして波立てずとよい人生を、自制することのできない憐れさからきわめて下らぬものにしてしまう。

ところが、この見やすい事実を、真剣に考えている人というのが、実際において現代の世になんとまことに情けないほど少ないのである。

中には怒ることがあれば怒るのが当然、怖ろしいことがあれば怖れるのがあたりまえ、悲しいことがあれば泣くのがなんで間違っているというふうに、それが少しも当然でないことを、さもさも当然のように断定しているというきわめて無知な人さえもいる。

またそれほど愚かでなくとも、「感情の奴隷になることは、やはり無論すべての結果において、健康に対しても、運命に対しても万々(ばんばん)良くないことは十分承知してはいるけれども、いざとなるとなかなかそううまく統御のできるものではない。ましてそれが他人のことならとにかく、わが身のことでは……」と、平然と間違った自己弁護を正当のように主張する人がある。

しかし、これも常々私がいうとおり、真理は情実に絶対に同情しない。

だからいくら自己弁護を巧みに脚色しても、消極的な感情生活をあえてしていると、必ずや早晩疾病に冒されたり、あるいは運命によくないものが生じてくる。

このように、文化の現代だというのに、なぜこのくらいのことが正しく解決されていないのかというと、これはせんじつめると、要は心鏡払拭の実際方法を一般人が知らないためだと断定してよいと思う。

そこにいくとわれら天風会員は、観念要素の更改法や、積極観念の養成法、または神経反射の調節法という各種の実際方法を講習会で習得し、その上夏の修練会で、即座に心機を転換して無念無想になれるあの安定打坐密法(あんじょうだざみっぽう)を践修されて、その各法のすべてによって心鏡払拭が顕著に現実化されていることは、言外無量の幸福といわざるを得ない。

現にああした方法を、私が苦心して創見したのも、その動機は私自身がいつも口述しているとおり、中年期に悪性の呼吸器疾患に冒されて以来、青年期の豪放無縫(ごうほうむほう)から憐れなほど消極的な感情生活を行う人間に転落し、その惨(みじ)めな人生から、なんとかして脱け出たいと懸命に思ったからである。

そして、十数年研鑽と努力の結果、現在会員諸子に垂迹(すいじゃく)している各種の方法を、幾多の失敗と蹉跌を繰り返しつつ最後に創見して、その後の私は、現在諸君のご覧のとおりの自分で、たえず至幸至福を大きな感謝で実感しながら、毎日を尊く活き得ているが、これとても、つまるところは、いかなる場合にも、会員諸子と同様、今日なお創見当初に優るとも劣らない実践を、熱烈に実行しているおかげなのである。

実際、万一少しでも怠る心が出たとすれば、私の現在は、断然かくのごとく恵まれてあり得ないと信ずるのである。どんな名医も再起不能を宣告した悲惨な病気に痛めつけられた脆弱な肉体が、自分で驚くほどの頑強なものとなり、日々を文字どおり、いつも明るく朗らかに、活き活きと勇ましく活きられているのも、人生真理の探求からああした実際効果の顕著な方法を窮達(きゅうたつ)の結果霊感(あえてこういわざるを得ないほど、われながらその創見と組織の微妙さに真実の感動を実感しているから)し、そして今なおそれを真摯な気持ちで、一日一分といえども忽(ゆるが)せにせず、懸命に実行しているからである。

ですから、こいねがわくは会員諸子も、範を示す天風に倣(なら)って、どんな場合にも、生きている限りは各種方法の全部を真剣に実行されて、全体生命の現実更生の根本義たる積極的精神態度の確保を堅持するために、心鏡を常に八面玲瓏(はちめんれいろう)たるものにされることに熱烈であってほしいと、心より勧め、奨励する。
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