電脳筆写『 心超臨界 』

人間の行動はその人の考えを表す最高の解説者
( ジョン・ロック )

大きな鐘のような男――伊藤肇

2024-05-05 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
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「磊落豪雄」の典型ともいうべき坂本龍馬が、西郷隆盛にはじめて接触した時の感想は「あれは大きな鐘のような男だ。小さく撞けば小さく鳴り、大きく撞けば大きく鳴る」という評を下した。西郷好きの勝海舟は「評する人も人。評せらるる人も人」と感嘆したが、当時人物批評のたしかさにおいて右に出る者はいない、といわれた海舟の一言だけにきかせるものがある。


『人間的魅力の研究』
( 伊藤肇、日本経済新聞社 (2000/11/7)、p36 )
1 深沈厚重魅力

  刺客をも包み込む西郷のふところ
    会わずには推量すらできぬ並外れた大きさ

◆大きな鐘のような男

「磊落豪雄」の典型ともいうべき坂本龍馬が、西郷隆盛にはじめて接触した時の感想は「あれは大きな鐘のような男だ。小さく撞けば小さく鳴り、大きく撞けば大きく鳴る」という評を下した。

西郷好きの勝海舟は「評する人も人。評せらるる人も人」と感嘆したが、当時人物批評のたしかさにおいて右に出る者はいない、といわれた海舟の一言だけにきかせるものがある。

勝海舟と西郷との出会いは、江戸城の無血開城の談判で三田屋敷で一対一で相対した「歴史的一瞬」であった。この時の応対辞令が、海舟にとっては生涯のものとなってしまったのである。

「時の勢に乗ってやってくる者は、つい実際の寸法よりも大きくみえる。時が経てば何でもない人間だったということがわかったりする」と海舟が述懐しているが、こと西郷に関しては、最後の最後まで不変だった。海舟語録を綴った『氷川清話』でもこういっている。

「いままで天下で恐ろしい者を二人みた。それは横井小楠と、西郷南洲だ。横井は西洋のことも別に沢山は知らず、おれが教えてやったくらいだが、その思想の高調なことは、俺などは梯子をかけても及ばぬと思ったことがしばしばあったよ。おれはひそかに思ったのさ。横井は自分で仕事をする人ではないけれども、もし横井の言を用いる人が世の中にあったら、それこそ由々しい大事だと思ったさ。その後、西郷に面会したら、その意見や議論は、むしろ、おれのほうがまさるほどだったけれども、いわゆる天下の大事を負担するものは、はたして西郷ではあるまいか、とひそかに恐れたよ。そこでおれは幕府の閣老にむかって『天下にこの二人があるから、そのゆく末に注意なされよ』と進言しておいたところが、その後、閣老は『その方の眼鏡も大分間違ったようじゃな。横井は何かの申し分で蟄居(ちっきょ)を申しつけられ、また、西郷は、ようやくご用人の職で、家老などという重い身分ではないから、とてもたいしたことはできまい』といった。けれども、おれはなお、横井の思想を西郷の手で行われたら、もはや、これまでだと心配していたのに、はたして、西郷は出てきたわい。」
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