電脳筆写『 心超臨界 』

一般に外交では紛争は解決しない
戦争が終るのは平和のプロセスとしてではなく
一方が降伏するからである
D・パイプス

道をひらく 《 覚悟はよいか――松下幸之助 》

2024-08-19 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


  他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は
  すこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
  心を定め、懸命(けんめい)に歩まねばならぬ。それがたとえ遠い道
  のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてく
  る。深い喜びも生まれてくる。
  [ 松下幸之助翁 ]


すべてのことにおいて、いろいろの姿で刻々に“覚悟はよいか”と問われているのである。そのことをみずから察知して、自問自答するかしないかは、その人の心がけ一つであろう。ましてや昨今のわが国の社会情勢、経済情勢は、世界の動きとともに寸刻の油断もならない様相を呈(てい)しつつある。つねに“覚悟はよいか”と問われることを、おたがいに覚悟したいものである。


◆覚悟はよいか

『道をひらく』
( 松下幸之助、PHP研究所 (1968/05)、p250 )

事に臨(のぞ)んでイザというとき、うろたえもせずあわてもせす、ひごろの覚悟のほどを示して決然と、しかも悠揚(ゆうよう)として事にあたるということは、まずはおたがいになかなか至難(しなん)のことである。ことほどさように、つい日々をウカウカとすごしていることになるわけで、だからイザ“覚悟はよいか”と問われたら、なすすべもなく呆然(ぼうぜん)自失、悠揚決然どころでない。

しかしよく考えてみれば、日々の営みのなかにおいて、おたがいに刻々(こくこく)に、その覚悟のほどを問われているわけで、たとえば今日のこの交通地獄のなかでは、一歩家の外へ出れば、いついかなる危難がふりかかるかわからず、すでにここにおいても、その覚悟がうながされているわけである。

すべてのことにおいて、いろいろの姿で刻々に“覚悟はよいか”と問われているのである。そのことをみずから察知して、自問自答するかしないかは、その人の心がけ一つであろう。ましてや昨今のわが国の社会情勢、経済情勢は、世界の動きとともに寸刻の油断もならない様相を呈(てい)しつつある。つねに“覚悟はよいか”と問われることを、おたがいに覚悟したいものである。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ほんとうの心の力 《 この世... | トップ | 自助論 《 「働け! 働け!... »
最新の画像もっと見る

03-自己・信念・努力」カテゴリの最新記事