電脳筆写『 心超臨界 』

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( トニー・ロビンズ )

◆パール判事の日本無罪論 《 国際法学界に光を増すパール判決 》

2024-06-19 | 心が臨界質量を超える
§4 東京裁判――日本に犯罪国家の烙印を押すために演じられた政治ショー
◆パール判事の日本無罪論 《 国際法学界に光を増すパール判決 》


朝鮮戦争から呼び戻されたマッカーサーはアメリカ上院において査問された。そのとき彼は「日本が第二次大戦に赴いたのは安全保障のためであった」と証言し、トルーマン大統領との会談においてははっきりと「東京裁判は誤りであった」と報告した旨、アメリカ政府自身が暴露的発表を行なったのである。7人の死刑囚を無罪にすることさえできた最高軍司令官としての彼がである。


12 国際法学界に光を増すパール判決

『パール判事の日本無罪論』
( 田中正明、小学館 (2001/10/5)、p196 )

博士が3年間の日子を費やし、心血をそそいだ判決文は、法廷においては公表されず、多数派の判決のみが、あたかも全判事の一致した結論であるかのように宣告された。ブレークニー弁護士は、少数派意見も法廷において公表すべきことを強硬に主張したが、容れられなかった。このことは、裁判所条例を、裁判所みずからが無視した不法行為であることは、前述のとおりである。

そこでパール判決文は、未発表のまま関係者だけに配布され、それが裁判から4年間、書庫深くに埃(ほこり)をかぶったままになっていたのである。

幾人かがこれの出版を企画したそうである。だが、そのたびにGHQは、出版は自由だが、ただし関係者の身分は保証のかぎりでない、とおどしていた。たしかに、これをあえてなすことは、マッカーサーの占領政策に対する真っ向からの挑戦である。生やさしい覚悟では手をつけることはできない。私は清瀬一郎、伊藤清両弁護士に相談し、これの刊行をもくろんだ。両弁護士の書庫深くに眠っていた、日英両文による原本を借り受け自室2階にアルバイトを動員して、刊行作業にとりかかる一方、パール博士には書簡をもって、刊行の許可を得るとともに、発行上の手続き、内容その他について支持を受けた。作業に約1年間を要した。

太平洋出版社の鶴見祐輔社長、天田幸男出版部長の励ましを受けて、『真理の裁き・パール日本無罪論』という名で世に出したのは、1952年4月28日であった。この日は、講和条約の効力が発し、日本が晴れて独立した日である。日本の主権が、GHQの手を離れて日本政府に移譲された日である。GHQはこの出版に関して、もはや阻止する権利も、処罰する権限もないはずである。パール博士はその年の10月、故下中弥三郎の招きで再度来日し、世界連邦アジア会議に出席し、各地で講演した。そのとき博士の要望によって、判決文全文が、やはり『日本無罪論』と銘うって、下中の主宰する日本書房から刊行された。

ところが、前にも述べたように、そのころすでに欧米の法曹界・言論界においては、このパール博士の少数意見が非常な波紋を呼んでいたのである。

まず主なるものを拾いあげてみると、1950年、英国枢密院顧問官で、政界の元老であるとともに、国際法の権威であるハンキ―卿が『戦犯裁判の錯誤』(Politics Trials and Errors 長谷川才次訳)を著し「裁判官パール氏の主張が、絶対に正しいことを、私は全然疑わない」とはっきり言明して、いくたの慣行法や実定法や歴史的事実とパール判決の内容とを照合しつつ、戦犯裁判そのものに根本的な疑問符を投げかけるとともに、東京裁判の不公正を衝(つ)いている。ことに、自分の親友で、自分とともにあれほど平和のために努力した重光葵(まもる)氏が、どうして処罰を受けなければならないのかという疑問を提示して、これにかなりのスペースを費やしている。

このハンキ―卿の主張と前後して、英法曹界の重鎮であるF・J・P・ビール氏が『野蛮への接近』(Advance to Barbarism)という著書を著し、戦争と処刑に関する古今東西の歴史的考察を行ない、東京とニュルンベルグとにおいて行なわれた2つの裁判は、原告は“文明”であると僭称(せんしょう)しているが、実は、戦勝者が戦敗者に加えた野蛮時代の復讐行為の再現にほかならないことを明らかにした。

さらにイギリスでは、国際法で有名なW・フリートマン教授、国会議員でありかつ王室弁護士であるR・T・パジェット博士などのパール支持論が優勢を占め、ついにロンドンの世界事情研究所監修『世界情勢年鑑』(1950年版)には、54ページから104ページにかけて、東京裁判を解説し、パール判定が正論であることを裏づけた。

一方、アメリカでも、東京裁判に関する批判と反省の論争は活発に行なわれた。

チャールス・ベアート博士は、歴史学・政治学の泰斗(たいと)として有名で、日本へも来たことのある人だが、『ルーズベルト大統領と1941年戦争の形態と実際の研究』という長い題名の著書を著し、その中で「日本が真珠湾を攻撃するより数カ月前に、ルーズベルト大統領はアメリカ軍部をして、海外駐屯軍に秘密に軍事行動を指令した」と発表し、日米開戦前夜におけるパール博士の指摘した点を裏づけた。またアメリカ最高裁のウイリアム・O・ダグラス判事は、東京裁判の被告らがなした大審院への再審請求事件に対し、1949年6月意見書を発表したが、その中でパール判決を支持し、「国際軍事裁判所は政治的権力の道具以外の何ものでもなかった」と批判している。

さらにモントゴメリー・ベルジョン氏の『勝利の正義』(Victor’s Justice)、フレダ・アトレイ氏の『復讐の高い代価』(The High Cost of Vengeance)といった東京裁判に関する著書が相次いで現れ、非常な売れ行きを示して、ジャーナリズムの話題をさらった。これらは、いずれも東京裁判に対する痛烈なる批判で、随所に、パール判決が引用されている。またマンレー・O・ハドソン判事は、その著『国際裁判所の過去と将来』において「政治機構に関してどのような発展が行なわれようとしているにせよ、国際法の及ぶ範囲を拡大して、国家もしくは個人の行為を不法とし、これを処罰する司法作用を包含させるには、現在はまだその時期が熟していない」と述べている。

オランダ、フランスなどにおいても、この論議が盛んに行なわれ、甲論乙駁(こうろんおつばく)、ごうごうたる激論が戦わされた。1961年のオランダの法律雑誌は、東京裁判に関するパール博士の論文を連載した。日本と同様に裁かれたドイツにおいて、この論争が盛んなことはもちろんで、その代表的なものは、哲学者ヤスパースの『戦争の責罪』である。彼はこの著書の中でこう述べている。

「戦争は歴史全体を通じて存在し、なお幾多の戦争が切迫しているのをどうみるか。私はどう考えても、一つの民族だけが、戦争の責罪を負わなければならぬ義務はないと思う。“自分には罪はない”などというのは、薄っぺらで、ごまかしの道徳意識だ。これこそひとりよがりというものだ。その証拠には、彼らはすでに、次の戦争の準備をし、これを促進しているではないか」

「いっそ明白なる暴力の方がましである。その方が正直で我慢しやすい。そこに存在したものは戦勝国の強権ばかりであった。それは人類の将来の平和のために、無益なばかりか、きわめて有害な存在となった」

かつて、パール博士は日本の法律家に向かって、いま世界に巻き起こっている戦犯論争に対して、なぜ沈黙を守っているのかと、奮起を促した理由がわかるような気がする。

世界の多くの権威ある国際法学者が、東京裁判の非合法性とその過誤を認めたばかりではない。この裁判を指令し、11名の裁判官を任命して、裁判所条例までつくった最高の責任者であるマッカーサー元帥は、東京裁判から、2年半ののち、解任されて帰国した。彼は朝鮮戦争を拡大して満洲へ原子爆弾による爆撃を企図し、中国大陸への進攻を企て、アメリカの指導者を狼狽(ろうばい)せしめ、急遽(きゅうきょ)呼び戻されたのである。このとき彼の残した「老兵は死なず、消え去るのみ……」といったことばが有名である。帰国すると、彼はアメリカ上院において査問された。そのとき彼は「日本が第二次大戦に赴いたのは安全保障のためであった」と証言し、トルーマン大統領との会談においてははっきりと「東京裁判は誤りであった」と報告した旨、アメリカ政府自身が暴露的発表を行なったのである。7人の死刑囚を無罪にすることさえできた最高軍司令官としての彼がである。

そればかりではない。東京裁判の立役者であったキーナン主席検事までが、重光葵を起訴し、処罰したことのあやまりを反省し、東京裁判が感情論にすぎたことの告白を新聞記者に発表した。裁判が終わってわずか5年目のことである。

これはいったい、なんとしたことであろうか。まじめに東京裁判を謳歌(おうか)し、これを支持していた日本のインテリたちの権威はどうなるのか、利用された検事団や、判事たちの名誉はどうなるのか。それよりも、この裁判で処刑された被告たちの立場はどうなるのだろうか。いかにこの裁判が、パール博士のいう“興行的なもの”であったか、この一事をもってしても証明されよう。

博士はその後、東京裁判における立証の正当性と、国際法理論に対する見識が高く評価され、選ばれて国連の司法委員会の委員および議長に就任し、その要職を全うした。
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