電脳筆写『 心超臨界 』

我われの人生は我われの思いがつくるもの
( マルクス・アウレリウス )

用意ができたとき師が現われる 《 髪の毛は生えてきたか――楠田枝里子 》

2024-05-03 | 03-自己・信念・努力
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日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
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■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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禅の中に、「用意ができたときに師は現われる」という教えがあります。自分に準備がなければ、すべては無意味な存在でしかないということです。意志が生まれたとき、手をさしのべる師は現われる。師はいたる所にいる。ふと目にした新聞の記事や子供の質問に答えた自分の言葉であることもある。「師はどのように現われるのか?」との質問への答えは、「これがそうだ」という以外にない。たとえば死にかけた虫を見て、自分の中に同情心がかき立てられた瞬間に、師が出現したことになるのである。



二年生のとき、化学実験室で私は大変な失敗をしでかした。(中略)バーナーの火はいつのまにか私の髪の毛に燃え移った。周囲の生徒たちが騒ぎ出し、それを聞きつけた先生が猛スピードで私のところに走ってきて、手で火を消してくださった。私の眉毛も睫毛(まつげ)も額の毛も焦げていたが、幸い目は無事だった。落ち度は全面的にうっかり者の私にある。しかし岡村先生は責任を感じられ、それから半年、授業がなくても毎日私の教室に通ってきては「おい、楠田、髪の毛は生えてきたか」と声をかけてくださったのだ。


◆髪の毛は生えてきたか――司会者・エッセイスト/楠田枝里子
(「あすへの話題」07.11.17日経新聞(夕刊))

やるべきことや才能が際立っている人ならともかく、そうではない私のような人間にとって、進路を決定するのは簡単なことではなかった。伊勢高校時代、文章を書くのは好きだが、科学も面白そう、美術にも興味があるとふらふらしていた私を、結局化学の道に導いたのは、岡村先生
だろう。

二年生のとき、化学実験室で私は大変な失敗をしでかした。二種類の溶液をビーカーに入れ攪拌(かくはん)していたとき、その反応にあまり夢中になりすぎて、そばでバーナーの火がぼうぼうと燃えているのに気付かなかったのだ。火はいつのまにか私の髪の毛に燃え移った。周囲の生徒たちが騒ぎ出し、それを聞きつけた先生が猛スピードで私のところに走ってきて、手で火を消してくださった。私の眉毛も睫毛(まつげ)も額の毛も焦げていたが、幸い目は無事だった。落ち度は全面的にうっかり者の私にある。しかし岡村先生は責任を感じられ、それから半年、授業
がなくても毎日私の教室に通ってきては「おい、楠田、髪の毛は生えてきたか」と声をかけてくださったのだ。

先生は、春、夏、冬と長い学校の休みに決まって東京や大阪、名古屋といった大都市に出かけていた。その理由を知ったのは高校卒業も近くになってのことである。受験に失敗しひとり下宿をしながら予備校に通っている生徒たちを励まし、問題を解決して回っていらしたのだ。何と言
う温かな方だろうと感じ入った。こんな人間味のある先生の身を置く化学の世界は、きっと魅力的なところに違いない、とも。

かけがえのない人との出会いによって、進むべき道を与えられる。こんな人生の選択の仕方もある。
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