電脳筆写『 心超臨界 』

我われの人生は我われの思いがつくるもの
( マルクス・アウレリウス )

§4 東京裁判――日本に犯罪国家の烙印を押すために演じられた政治ショー

2024-08-21 | 心が臨界質量を超える

§4 東京裁判――日本に犯罪国家の烙印を押すために演じられた政治ショー


真実がズボンをはく間に嘘は地球を6周する
( マーク・トウェイン )
A lie can run around the world six times
while the truth is still trying to put on its pants.
( Mark Twain, American novelist, 1835-1910 )


敗戦から、東京裁判が終結し戦犯の死刑が行なわれた昭和23年(1948)の暮までに、いわゆる東京裁判史観は、戦後の日本の思想と教育の大筋となってしまった観がある。しかも、日本がサンフランシスコ平和条約を調印した昭和26年(1951)の秋までは公職追放令が有効であったから、東京裁判を批判する声はないといってよかった。東京裁判史観は、日本の言論界やマスコミや著述業界における一種のエスタブリッシュメント(思想的権威)となり、これを批判することはタブーとなった。そのうえ、その史観で教育を受けた者は、それを信じこんでいた。東京裁判史観は左翼政党の熱狂的に支持するところであるから、その影響下にある教員組合を通じて日本の児童・生徒の頭の中に、この史観が注ぎこまれた。
( 渡部昇一『日本史から見た日本人 昭和編』、p400 )


◆「裁判」と「復讐」を混同したマッカーサー
これは、占領軍の最高司令官であるアメリカ陸軍元帥ダグラス・マッカーサーの昭和21年(1946)1月19日付による特別宣言書に基づいて設定されたものである。その裁判の具体的な構成や規定の一切は「極東国際軍事裁判所条令」によって決められており、これに基づいて行なわれた。この「条令」は、アメリカ陸軍参謀団員・陸軍少将・参謀長R・J・マーシャルと、アメリカ陸軍軍務局員・陸軍代将・軍副官部主任P・M・フイッチの二人が、マッカーサー元帥の命令で発布したものである。東京裁判の法的根拠は、すでに確立していた国際法によるものではなく、駐日アメリカ陸軍が作成した条令であることは、いくら繰り返しても繰り返し過ぎることはないであろう。

◆事後法でつくられた架空の犯罪《 「平和に対する罪」 》
このままでは、日本の指導者を裁く大義名分がない――。そんな中、終戦直前の1945年8月8日、アメリカ主導で、ロンドン協定が締結されました。協定には、戦争犯罪人を裁くための「国際軍事裁判所憲章」が附属され、捕虜虐待(ほりょぎゃくたい)など通例の戦争犯罪以外に、戦争を計画・実行したものを裁ける「平和に対する罪」という、新たな戦争犯罪類型が確立されました。

◆東京裁判はインチキであった
東京裁判の構造をわかりやすくいえば、あれは既存の法律によって行われた裁判ではありません。ということは、法律に拠らずに行われた裁判ということになります。つまりリンチ同然であった。ここがポイントです。

◆なぜ、東京裁判が私刑(リンチ)なのか
つまり、ある犯罪が行なわれたとします。ところがその犯罪を裁くための法律がない。そこであわてて新しく法律を作って、それをすでに行なわれた犯罪に当てはめて処罰するということをしてはならない、という動かすべからざる鉄則です。だから準拠となるべき法律がないような新しい犯罪をおかした犯人は、法律のうえでは無罪となります。この世界的に確実に認められている原則を踏みにじって行なわれようとしているのが東京裁判でした。法律がないのに、あとから理屈をつけて、死刑という極刑を含む裁きを行なう。これはもはや裁判ではありません。西部劇に出てくる私刑(リンチ)というものです。

◆清瀬弁護人の活躍
清瀬弁護人は、はじめから裁判の管轄(かんかつ)権を問題にした。この指摘にウェッブ裁判長は何も答えられなかった。さらに清瀬弁護人は、ウェッブ裁判長がニューギニアの戦犯問題で検事役を兼務していたころを指摘し、裁判長としての資格がないと主張した。それで裁判官忌避(きひ)が行われたのである。結局、連合国軍の司令長官であるマッカーサーの命令で任命されたのだから裁判官の忌避は認められない、ウェッブ裁判長のままでいくということになった。法的に自分の地位を守ることすらできず、マッカーサーの命令でのみ動いた裁判だったのである。

◆戦争は犯罪ではないから東京裁判は誤りである――ブレイクニー弁護人
「歴史を振り返ってみても、戦争の計画、遂行が法廷において犯罪として裁かれた試しはひとつもない。我々はこの裁判で新しい法律を打ち立てようとする検察側の抱負を承知している。しかし、そういう試みこそが新しくより高い法の実現を妨げるのではないか。『平和に対する罪』と名付けられた訴因は故に全て当法廷により却下されねばならない」

◆日本の侵略性の認定
植民地は明らかに「侵略」された土地である。そこに日本が「侵略」した場合どういうことになるか。数学ではマイナスにマイナスを乗ずればプラスになる。すでに侵略されているところを侵略すれば「解放」になるのではないか、とも考えうる。少なくとも左翼の「解放戦争」はこれに似た論法だ。満洲はロシア軍が制圧しているところに日本が入った。日露戦争後も満洲事変までは北満はソ連の勢力下にあった。こう考えていくと確かにレーニング判事の言うように日本の侵略性の認定はそう簡単ではない。

◆裁かれるべきは戦勝国側だった
裁かれるべきは、戦勝国側だった。そして公正という、われわれが高らかに掲げてきた美徳を、規範を、原則を葬り去って、裁判という名に値しない茶番劇を続けた。フェア・プレーの精神を地に貶(おとし)めて、欺瞞を貫いた。それが東京裁判だった。

◆日本を裁いた側の「罪」
世界の「公の秩序と安全」にたいする将来の脅威>をなくするのが裁判の趣旨の一つだと東京裁判でよくいわれたが、パルは<かような将来の脅威を判断する資料は、本裁判所には絶対にない。検察側も弁護側も、この点に関する証拠提出は、絶対に要求されなかったのである>と否定した。何のための裁判なのか。パルは<復讐の手段>だったとしたうえで、警告を発する。<おそらく敗戦国の指導者だけが責任があったのではないという可能性を、本裁判所は、全然無視してはならない

◆騎士道なきアメリカの野蛮さ
アメリカにとって、日本との戦争もインディアンとの戦争と同じであり、敵は徹底的に悪く、敵の大将は悪魔に等しい。これを人間として国際法で公平に扱う必要はないということになる。その発想が東京裁判にも反映されているとしか思えない。「死刑の判決は出た。しかし司令官の恩情をもって無期刑に処す」という騎士道的に立派な行為が出てくる余地はなかった。

◆日本の戦いは自衛戦争だった――東京裁判を否定したマッカーサー発言
米国は約8千万人の日本国民を4つの島に封じ込めた。理解しなければならないのは、日本人は労働の尊厳と称すべきものを発見しており、その労働力は質的にも量的にも大変優れており、どこにも劣らないということである。だが、日本には蚕(かいこ)以外にこれといった資源がなかった。多くの資源はアジア海域にある。この供給を絶たれれば1千万人から1千2百万人が失業する――マッカーサーはこのように述べ、だから、日本が戦争に入っていった主たる目的は、securityのためであった、と証言したのである。

  Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.
  したがって、彼ら(日本および日本人)が戦争に入っていった目的は、
  主として安全保障のため余儀なくされたのです。

◆パール判事の日本無罪論 《 判決理由のない判決 》
1950年のイギリスの国際事情調査局の発表によると、東京裁判は結論だけで、理由も証拠もないと書いてある。ニュルンベルグにおいては、裁判が終わって3カ月目に裁判の全貌を明らかにし、判決理由書とその内容を発表した。しかるに東京裁判は判決が終わって4年になるのに、その発表がない。他の判事は全部有罪と決定し、わたくし一人は無罪と判定した。わたくしはその無罪の理由と証拠を微細に説明した。しかるに他の判事らは、有罪の理由も証拠もなんら明確にしていないのである。[ パール判事 ]

◆パール判事の日本無罪論 《 執念深い報復の追跡 》
博士によれば、ともかく、この裁判は、「法律的外貌(がいぼう)はまとってはいるが、本質的には、ある目的を達成するための政治的裁判」にすぎない。たんに「執念深い報復の追跡を長びかせるために」法律の名を借り、文明とか人道とかいう美名に隠れて、権力を行使するなどということは、国際正義の上からいって許しがたいことである。

◆パール判事の日本無罪論 《 中立義務は果たされたか 》
国際法の基本原則からいって、長期にわたる米英の露骨なる援蒋行為は、明らかに“中立義務の違反”であり、みずから求めて、交戦国として、日本の前に立ちはだかっていたのである。国際法に準拠して開かれたはずの東京裁判において、いささかもこの問題が論議の対象にならなかったということは、まことに片落ちのはなはだしきものといわざるをえない。

◆パール判事の日本無罪論 《 アメリカの最後通牒(ハル・ノート)》
交渉の土壇場にきて、いままで提案されなかった事項まで持ちだし、従来の弾力性ある態度を捨てて、一方的にいままでにない苛酷な条件を押しつけて来たのである。これでは8カ月にわたる交渉は何のために行なわれてきたのか、日本側は理解に苦しんだ。パール博士が指摘したように、むしろアメリカ側こそ、この日まで戦争準備を整えるための時間稼ぎをやっていたものと推測されても、それだけの理由はあったのである。「それはもはや交渉ではなくして、日本に対して全面降伏を迫る最後通牒を意味するもの」であった。

◆パール判事の日本無罪論 《 原子爆弾の投下を命じた者 》
「もし非戦闘員の生命財産の無差別破壊というものが、いまだに戦争において違法であるならば、太平洋戦争においてはこの原子爆弾使用の決定が、第一次世界大戦中におけるドイツ皇帝の指令、および第二次世界大戦中におけるナチス指導者たちの指令に近似した唯一のものであることを示すだけで十分である。このようなものを、現在の被告の所為(しょい)の中には見出すことはでき得ない」(パール判事)

◆パール判事の日本無罪論 《 裁判という名の狂言 》
重複部分を切り捨てて、一主役一舞台に整理してみると、つぎのようになる。松井――中国、木村――ビルマ、板垣――シンガポール(イギリス)、武藤――バターン(フィリピン)、東条――真珠湾(アメリカ)、土肥原――満洲、広田――ソ連。「なんのことはない。これら7被告の首は、初めから米、英、中、ソ、比などへ割りあてられていたのだ。もし、7人の誰かが、松岡や永野のように、裁判の途中で死亡したりすれば、つまり配給の予定に狂いが生ずれば、彼らはたちまち代替品を充当したであろう。被告の数は多かったし、理屈はどのようにでもこじつけられたのだから……」(植松慶太)

◆パール判事の日本無罪論 《 東京裁判は占領政策の一環 》
パール博士の言葉を借りていえば、「この裁判所は、法律執行機関としての裁判ではなくして、権力の表示としての政治機関」であった。すなわち「この裁判は、法律的外貌はまとっているが、実は、ある政治目的を達成するために設置されたもので、それは占領政策の宣伝効果をねらった“興行”以外の何ものでもなかった」のである。

◆パール判事の日本無罪論 《 国際法学界に光を増すパール判決 》
朝鮮戦争から呼び戻されたマッカーサーはアメリカ上院において査問された。そのとき彼は「日本が第二次大戦に赴いたのは安全保障のためであった」と証言し、トルーマン大統領との会談においてははっきりと「東京裁判は誤りであった」と報告した旨、アメリカ政府自身が暴露的発表を行なったのである。7人の死刑囚を無罪にすることさえできた最高軍司令官としての彼がである。

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