電脳筆写『 心超臨界 』

心地よいサマーレインのように
ユーモアは一瞬にして大地と空気とあなたを洗い清める
( ラングストン・ヒューズ )

◆アメリカの戦略政策によって戦後日本の食生活が激変した

2024-07-11 | 05-真相・背景・経緯
§5-1 公職追放がアメリカの植民地・日本をつくった
◆アメリカの戦略政策によって戦後日本の食生活が激変した


学校給食法ができた1954年の2年後に、オレゴン州の小麦栽培者連盟っていうのが、東京に進出してきて、先程言った、米を食べると馬鹿になるとか、アメリカの小麦輸出代金を使って日本国内で洋食普及キャンペーンっていうのをやってるんです。例えば、キッチン・カーっていうライトバンの中に調理施設を積み込んだものがあって、それで、全国津々浦々の農村とか、団地を回って、小麦とか大豆、それから肉を使った料理のレシピを普及させる運動をやった。これ、実は厚生省がやっているわけです。その資金はPL480というアメリカから出た資金でやっている。


『亡国最終兵器』
( 関岡英之、長尾たかし、中野剛志、東谷暁、藤井幸男、三橋貴明、
  山田俊男、水島総、チャンネル桜叢書=青林堂 (2011/8/1)、p71 )

【関岡】 これが、アイゼンハワー政権の穀物戦略だったわけですよね。それを仕掛けた人が当然、存在するわけです。

つまり、ちょうど学校給食法ができた1954年の2年後に、オレゴン州の小麦栽培者連盟っていうのが、東京に進出してきて、先程言った、米を食べると馬鹿になるとか、アメリカの小麦輸出代金を使って日本国内で洋食普及キャンペーンっていうのをやってるんです。

例えば、キッチン・カーっていうライトバンの中に調理施設を積み込んだものがあって、それで、全国津々浦々の農村とか、団地を回って、小麦とか大豆、それから肉を使った料理のレシピを普及させる運動をやった。これ、実は厚生省がやっているわけです。その資金はPL480というアメリカから出た資金でやっている。

当時の厚生省の栄養課長の大磯敏雄さんっていう人が、アメリカの資金を使ってやっていたとは誰も気がつかなかっただろう、プロパガンダというのは本来、誰にも気がつかれないうちにやるのがプロパガンダなんだっていうようなことを、定年退職後に取材を受けて言っているわけです。

なぜ、オレゴン州だったかと言うと、私はアメリカの地理に疎いので、ちょっと地図で調べてみたら、この日本に小麦や大豆を輸出することをアイゼンハワー政権に対して、ロビイングしていたのが、ワシントン州、オレゴン州、アイダホ州という太平洋岸の諸州だったんです。

これらの地域っていうのは、ロッキー山脈によってアメリカのコーン・ベルト地帯や小麦ベルト地帯と言われているアイオワ州とかカンザス州と地理的に隔絶していた、要するに、アメリカ国内の大消費地への地域間競争に、輸送コストの面で勝てないと。だったら、船に乗せて日本に運んじまったほうが市場を獲得できるということで、まず小麦農家が非常に戦略的に動いて、合衆国政府、当時のアイゼンハワー政権を動かして日本に学校給食法を作らせ、そこで小麦粉を原料とするパンや脱脂粉乳、それから、やはり主食がパンとなれば、おかずが焼き魚ってわけにいきませんから、ハンバーグといった肉料理を食べさせた。

そういう形で、今度は、家畜の飼料であるとうもろこしも輸出できるっていう形で、実は日本人の戦後60年間の食生活の激変っていうのは、別に自然現象でもないし、まして、何かの陰謀とか、そういうことではなく、明らかにアメリカの戦略政策によってもたらされてきたものだということです。
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