§4 東京裁判――日本に犯罪国家の烙印を押すために演じられた政治ショー
◆東京裁判はインチキであった
東京裁判の構造をわかりやすくいえば、あれは既存の法律によって行われた裁判ではありません。ということは、法律に拠らずに行われた裁判ということになります。つまりリンチ同然であった。ここがポイントです。
『中国・韓国に二度と謝らないための近現代史』
( 渡部昇一、徳間書店、p21 )
東京裁判および公職追放(1946年~52年)の時代の7年間、日本の言論は占領軍によって完全に封殺されていました。そして、大東亜戦争は日本の軍国主義者の共同謀議による侵略戦争であると頭に叩き込まれ、それが左翼の手によって教育の現場に浸透させられた結果、日本人の多くがそう思い込むようになりました。しかし、多少なりとも歴史の事実を知る人は、日本が侵略戦争をしたと決めつける東京裁判はインチキであったことに気づいていました。
東京裁判の構造をわかりやすくいえば、あれは既存の法律によって行われた裁判ではありません。ということは、法律に拠らずに行われた裁判ということになります。つまりリンチ同然であった。ここがポイントです。
東京裁判の根拠となったのは当時の国際法ではなく、連合国軍最高司令官マッカーサー元帥の権力に基づいて、キーナン主席検事(アメリカ人)およびGHQ(連合国軍総司令部)の参謀部が定めた「極東国際軍事裁判所条例」(略称「チャーター」)でした。「チャーター」は第1条から第17条までありましたが、いずれもとても簡単な記述で、国際法や慣習法とはまったく無関係の、マッカーサー一個人の権威に由来するだけの条例にすぎませんでした。しかも裁判官はすべて戦勝国から選ばれ、敗戦国および中立国からはひとりも出ていません。したがって東京裁判の構造は、非常にわかりやすくいえば、A暴力団とB暴力団が抗争になり、A暴力団が勝ったのでB暴力団の組員を勝手に裁いたようなものです。
要するに東京裁判とは、連合国軍総司令官のマッカーサーが命じてやらせた「復讐裁判」ないしは「私刑(りんち)」でした。
それゆえ、裁判の冒頭、日本側弁護団の中心的人物で東条英機被告の主任弁護人であった清瀬一郎弁護人(のちに衆議院議長)は、「裁判の管轄権(ジュリスディクション)はどこにあるのか」と突っ込んでいます。ウェッブ裁判長(オーストラリア人)はそれに答えることができませんでした。また、ウェッブ裁判長に対する「拒否」が提出されたときは、その動議を拒絶する理由として、最高司令官マッカーサーによって任命されたからという「任命権」しか盾にすることができませんでした。
東京裁判とはそれほどズサンな裁判だったのです。
最新の画像[もっと見る]