電脳筆写『 心超臨界 』

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◆パール判事の日本無罪論 《 中立義務は果たされたか 》

2024-06-16 | 05-真相・背景・経緯
§4 東京裁判――日本に犯罪国家の烙印を押すために演じられた政治ショー
◆パール判事の日本無罪論 《 中立義務は果たされたか 》


国際法の基本原則からいって、長期にわたる米英の露骨なる援蒋行為は、明らかに“中立義務の違反”であり、みずから求めて、交戦国として、日本の前に立ちはだかっていたのである。国際法に準拠して開かれたはずの東京裁判において、いささかもこの問題が論議の対象にならなかったということは、まことに片落ちのはなはだしきものといわざるをえない。


『パール判事の日本無罪論』
( 田中正明、小学館 (2001/10/5)、p123 )

太平洋戦争は日本が起こした戦争である。開戦の責任は日本にある。今でも日本人の多くはそう信じ込んでいる。たしかにこの戦争は、「真珠湾攻撃」によって火ぶたが切られた。だが、最初の戦端を日本が真珠湾に開いたからといって、開戦の責任がすべて日本にあるといえるであろうか。戦端を開くには、戦端を開くだけの十分なる理由が存在することは当然である。その理由のすべてが日本側にのみ帰せられ、一貫した侵略戦争の企画・立案・実施の共同謀議の結果であるとなすがごときは、牽強付会(けんきょうふかい)もはなはだしいものである。むしろ、日本がこのような行為を余儀なくされたその原因を探求し、原因に対する責任の所在を明らかにすることが、東京裁判の果たすべき任務であったはずである。東京裁判はこのことを不問に付してしまった。

“中立義務”というのは、国際法にも明記されている非常に重要な条項である。

日中事変が起こって以降、アメリカやイギリスは、日本に対してどのような態度をとったか。彼らは交戦国である日中両国に対して、中立国としての義務を守るべき立場にある。果たして米・英両国は、中立維持の業務を守ったであろうか。この問題に関して、パール博士はつぎの3点について、探求する必要があると述べている。

1、日中事変以降において、これらの諸国は中立維持の義務を負っていたものであるか。

2、交戦中の日本の行動に関する敵意ある批判をも含むこれらの諸国の態度は、果たして中立国の権利内であって、かつ中立国の義務と矛盾しないものであったか。

3、もし中立国の義務と矛盾するものであったとすれば、かような国家に対する日本の行動は、かような国家の態度からみて正当化されうるものであったか。

米英が蒋介石政権に対して、経済的・軍事的に、あらゆる援助を積極的に行なっていたことは、まぎれもない事実である。検察側もこの事実をはっきり認めて「アメリカ合衆国が中国に対して、経済的にも、また、軍事資材の形においても、非交戦国としてはかつて見られなかった規模において援助し、かつアメリカ市民の若干の者は、日本の侵略に対して、中国人とともに戦闘に参加した」と述べている。これは英国としても同様であった。

記録によれば、米英の軍事顧問団だけでも数百名にのぼり、戦闘に参加した米英人は2千名を超えている。

日本海軍は、米英の援蒋ルートを抑えるため、中国大陸の沿岸を封鎖した。それでも香港や厦門(アモイ)を通じ、あるいはインドシナを通じて、おびただしい兵器弾薬が白昼公然と送り込まれた。蒋政権は南京から武漢にのがれた。そのとき例のパネー号事件なるものが起こるのであるが、この米艦パネー号には、敗走する中国の将兵と武器が満載されていた。蒋政権は武漢を追われて、さらに重慶の山奥に遁入(とんにゅう)する。すると英国は、ビルマから四川にいたる道路を開削(かいさく)して、援蒋ルートを開いた。このパイプを通じて、おびただしい軍事資材が送り込まれた。パイプはもう1本あった。それは仏印のハノイを拠点とする雲南ルートである。この2本のパイプのため、蒋政権とその軍隊は、抗日戦争を続けることができた。蒋政権を屈服させるためには、この背後の援蒋ルートを抑えねばならぬ。日本の外務省は、いくたびかこれら関係国に対して抗議し、中立国としての義務を遵守するように訴えた。だが、中立義務は果たされるどころか、援蒋規模はますます拡大し、アメリカの航空機のごときは、援蒋物資を重慶に空輸しはじめた。明らかに日本への挑戦である。日本の世論は大いに激昂(げっこう)し、援蒋行為をもって、敵性行為と見なし、米英を敵性国家として非難したのである。そして、結局、重慶を支援している背後の力を討たざるかぎり、蒋介石を屈服せしめることはできない、という世論が次第に支配的になりはじめたのである。

パール博士は、この点についてつぎのごとく述べている。

「国際法の基本原則によれば、もし一国が、武力戦争の一方の当事国に対して、武器、軍需品の積み出しを禁止し、他の当事国に対して、その積み出しを許容するとすれば、その国は必然的に、この紛争に軍事干渉することになるものであり、宣戦の有無にかかわらず、戦争の当事国となるのである」

すなわち、「国際法」の基本原則に照らして、米・英両国は明らかに、宣戦の有無にかかわらず、日本に対して戦争の当事国となっていたのである。いうならば、宣戦なき戦争を日本に対して仕向けていたのである。しかもこのことは、日本政府が再三にわたり注意を喚起したところであり、彼らはこの勧告をあえて退けて、敵対行為を続行していたのである。博士はつぎのごとく述べている。

「日中間の敵対行為が戦争の性格をもっていたことはもとよりのことである。しかし、上は敵対当事国自体において戦争であると宣言されたことがかつてなく、また少なくとも米国においては、みずからの行為によってこれを戦争と認めないことに決したという点に困難がある。一般に認められているように、米国は中国に対してできるかぎりの援助を与えたのであり、そしてそのような援助は、前者の中立的性格と矛盾するものであった。かりにこの敵対行為が米国にとって戦争と認められていたとするならば、国際法においては、米国はすでにみずからの行為によって、上の交戦状態に介入していたことになり、真珠湾攻撃に関する問題は全く意味を失うことになる。この場合には、米国はみずからの行為によって、真珠湾攻撃のはるか以前から交戦国となっていたのであり、したがって、日本が中国に対して行なっていた戦争の性質がどのようなものであったにせよ、米国が中国の側に立ってこれに参加することを決定した瞬間から、日本は米国に対して、いつでも、どのような敵対措置をもとり得ることになったのである」

つまり、博士によれば「アメリカはみずからの行為によって、真珠湾のはるか以前から交戦国となっていた」のである。

たしかに博士のいうとおり、国際法の基本原則からいって、長期にわたる米英の露骨なる援蒋行為は、明らかに“中立義務の違反”であり、みずから求めて、交戦国として、日本の前に立ちはだかっていたのである。国際法に準拠して開かれたはずの東京裁判において、いささかもこの問題が論議の対象にならなかったということは、まことに片落ちのはなはだしきものといわざるをえない。
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