電脳筆写『 心超臨界 』

人の心はいかなる限界にも閉じ込められるものではない
( ゲーテ )

道をひらく 《 国の道――松下幸之助 》

2024-08-18 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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  他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は
  すこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
  心を定め、懸命(けんめい)に歩まねばならぬ。それがたとえ遠い道
  のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてく
  る。深い喜びも生まれてくる。
  [ 松下幸之助翁 ]


いかにわが道をひらく精進(しょうじん)を重ねても、国としての道がひらけていなければ、所詮(しょせん)はそれは砂上の楼閣(ろうかく)。誰かが何とかしてくれるだろうでは、誰も何ともしてくれない。人の歩む道も国の歩む道も結局同じことではなかろうか。ボンヤリしていては道はひらけぬ。他人まかせでは道はひらけぬ。つまりは、われ他人(ひと)とともに懸命(けんめい)に考えて、わが道をひらく如くに、国の道をひらかねばなるまい。


◆国の道
 
『道をひらく』http://tinyurl.com/dyt9o2x
( 松下幸之助、PHP研究所 (1968/05)、p248 )

人はさまざま。だからさまざまの人生があり、さまざまの人の歩む道がある。そのいずれの道であろうとも、たとえそれがひっそりとした道であろうとも、それぞれの道をそれぞれにきりひらいてゆくことは、決して容易でない。人おのおの精いっぱいの心根(こころね)がそれぞれにこもらねばならない。ボンヤリしていては道はひらけぬ。他人まかせでは道はひらけぬ。

しかし、もっと容易でないのは、いわゆる国として、国家としての道をきりひらいてゆくことではなかろうか。

いかにわが道をひらく精進(しょうじん)を重ねても、国としての道がひらけていなければ、所詮(しょせん)はそれは砂上の楼閣(ろうかく)。誰かが何とかしてくれるだろうでは、誰も何ともしてくれない。

人の歩む道も国の歩む道も結局同じことではなかろうか。ボンヤリしていては道はひらけぬ。他人まかせでは道はひらけぬ。つまりは、われ他人(ひと)とともに懸命(けんめい)に考えて、わが道をひらく如くに、国の道をひらかねばなるまい。

そうしなければならないのが民主主義で、またそれができるのも民主主義なのである。おたがいに三省してみたい。
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