電脳筆写『 心超臨界 』

つぎの目標を設定したり新しい夢を描くのに
年を取りすぎていることなどけっしてない
( C・S・ルイス )

用意ができたとき師が現われる 《 物語は世界中にあふれいる――小川洋子 》

2024-07-31 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


禅の中に、「用意ができたときに師は現われる」という教えがあります。自分に準備がなければ、すべては無意味な存在でしかないということです。意志が生まれたとき、手をさしのべる師は現われる。師はいたる所にいる。ふと目にした新聞の記事や子供の質問に答えた自分の言葉であることもある。「師はどのように現われるのか?」との質問への答えは、「これがそうだ」という以外にない。たとえば死にかけた虫を見て、自分の中に同情心がかき立てられた瞬間に、師が出現したことになるのである。


ふと私は想像します。名前も知らないどこか遠い町にある、ひっそりとした治療室で、傷つき途方に暮れた誰かが、迷い込んだ迷路の風景を語っている。たった一人うす暗がりに向かい、自分の言葉にどんな意味があるのかも分からないまま、ただ語り続ける。暗がりの奥に身を潜めた私は、それをひたすら書き取ってゆく。誰かの心を支えるために必要なその物語が、間違いなくこの世に存在していることを証明するため、一字一字丁寧に書き留めてゆく。それが私の書く小説だ……と。


◆物語は世界中にあふれいる

『生きるとは、自分の物語をつくること』
( 河合隼雄/小川洋子、新潮社、p129 )

先生は『ココロの止まり木』(朝日新聞社)の中で、レベッカ・ブラウンの小説『家庭の医学』(朝日新聞社/柴田元幸訳)を取り上げ、「ナラティブ・ベイスト・メディシン」(物語を基盤とする医療)と呼ばれる考えについて書いています。『家庭の医学』はがんに侵された母親が死に至るまでの過程を、娘の視点で描き出した素晴らしい小説です。大げさな感情の爆発ではなく、ただ目の前に横たわる母親の身体をさすり、オムツを替え、スポンジで口を湿らせる淡々とした行為の中に、愛する者を見送ることの悲しみが映し出されています。死を宣告された現実の中で、患者と家族たちがどのような物語を生きるか、見事に描かれているのです。

先生は一生の一大事として病に取り組む人々に対し、「ナラティブ・ベイスト・メディシン」の大切さを説いています。

“本当に「医療」を考えるならば、診断のみではなく「物語」も考慮に入れるべきだ”

先生の言う物語とは、事実を否定する絵空事ではなく、「いのち」や「たましい」を手触りあるものとして刻みつけるための物語です。医者は手術不可能のがん、と診断します。それは正しい診断です。しかし正しいからといって患者や家族は満足しません。化学療法を受けて髪の毛が抜けた母親のために、娘は通信販売のカタログで帽子を選びます。すべて自然素材で作られた、“禿げでなくとも帽子はかぶるものという感じ”のデザインです。その時娘は、昔、新学期やクリスマスのおり、母親と一緒に洋服を買いに出掛けた思い出をよみがえらせます。そしてその買い物が必ず子供のためであり、母親の洋服を買うために出掛けたことは一度もなかった、と気づきます。母と娘は家の中ではどんな帽子がいいか、外出する時はどれがいいかとあれこれ話し合います。まるで再び、外へ出掛けられる時が母親に訪れると、信じているかのように……。

これこそまさに、物語が人を救う姿そのものではないでしょうか。人の魂に訴えかけてくるのは、化学療法ではなく、通信販売のカタログで帽子を選ぶ母娘の時間なのです。

ふと私は想像します。名前も知らないどこか遠い町にある、ひっそりとした治療室で、傷つき途方に暮れた誰かが、迷い込んだ迷路の風景を語っている。たった一人うす暗がりに向かい、自分の言葉にどんな意味があるのかも分からないまま、ただ語り続ける。暗がりの奥に身を潜めた私は、それをひたすら書き取ってゆく。誰かの心を支えるために必要なその物語が、間違いなくこの世に存在していることを証明するため、一字一字丁寧に書き留めてゆく。それが私の書く小説だ……と。

そう考えると途端に気分が楽になりました。世界中にあふれている物語を書き写すのが自分の役割だとすれば、私はもうちっぽけな自分に怯える必要はないのです。物語は既にそこにあるのですから。

このように先生との出会いは、私にとって大きな転機となりました。小説を書く作業が困難に満ちているのは変わりありませんが、根本的な部分で「自分」の比重が軽くなり、かえって自由な視野を得たような気がします。混沌の渦中でもがいていた時より、治療室の暗がりにうずくまっている方がずっと遠くまで見通せます。息も深く吸い込めます。私は先生によって、書き手としての自分の位置を発見できたのです。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 潜在意識が働く 《 夢のなか... | トップ | こころのチキンスープ 《 人... »
最新の画像もっと見る

03-自己・信念・努力」カテゴリの最新記事