電脳筆写『 心超臨界 』

悲観論か楽観論かの問いにはこう答える
私の知識は悲観的なものだが私のやる気と希望は楽観的だ
シュヴァイツァー

人間通 《 人褒め――谷沢永一 》

2024-07-15 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
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■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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人は誰でも自分を褒めてもらいたい。しかし自分が人を褒めるのは嫌なのだ。その間の行き違いから至る所で無意味な諍(いさか)いが生じる。人の世をまるくおさめる方法はただひとつ、誰もが褒め上手になろうとする修練である。諸人(もろびと)に立てられ押しあげられる人は、必ずきまって人を褒める勘所を心得た訳知りである。人に嫌われ不遇におちいる扱いにくい型(タイプ)は、決して人を褒めない不平屋である。


◆人褒め

『人間通』
( 谷沢永一、新潮社 (2002/05)、p41 )

競争の目的は勝利であり、そのためには他の誰よりも実力を蓄えなければならぬ。しかし規則(ルール)のない一般社会では明確な判定を求めえない。能力を数値で顕証してもらえないから、証明されていない自惚(うぬぼれ)が頭をもたげる。自分を思いこみだけ優位におくため、仲間のひとりひとりをさまざまに罵(ののし)り、ひとりみずからを高みにおいて卑(いや)しい快をむさぼる。もし同僚の誰かが本当に無能(すかたん)であるなら、自分が競争相手よりいちだん上であるのを喜びとし、黙って満足しておればよいのに、それを口汚く卑しめ貶(おと)しめ蔑(さげす)むのはなぜか。そのかくされている動機はただひとつ、私を褒めてくれ持ちあげてくれと叫んでいるだけのことなのだ。世に人を罵って当たり散らす悪口雑言型があまりにも多いのは、自分が期待している頌辞(しょうじ)を誰からも与えられない不平不満に基づく。

人は誰でも自分を褒めてもらいたい。しかし自分が人を褒めるのは嫌なのだ。その間の行き違いから至る所で無意味な諍(いさか)いが生じる。人の世をまるくおさめる方法はただひとつ、誰もが褒め上手になろうとする修練である。諸人(もろびと)に立てられ押しあげられる人は、必ずきまって人を褒める勘所を心得た訳知りである。人に嫌われ不遇におちいる扱いにくい型(タイプ)は、決して人を褒めない不平屋である。そして誰をも褒めようとせぬ難儀な口とがらし屋は、人の長所が目に入らぬ遅鈍型である。ゆえに誰からも何かを学びとる機会がない。洞穴にこもっているようなものだから進歩しない。或(あ)る人物に発育の可能性があるか否(いな)かを試すには、その人が何をどう褒めるかに耳を傾ければよいのである。
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