電脳筆写『 心超臨界 』

感謝を表わすのに忘れてはならないこと
最高の感謝は言葉ではなく
感謝をもとに生きることである
J・F・ケネディ

生きるための杖ことば 《 君看雙眼色 不語似無憂―—松原泰道 》

2024-06-22 | 03-自己・信念・努力
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誰もの心の奥底に埋(う)もれている純粋な人間性は、筆舌では表現不可能である。それをあれこれと説明するが、説明すればするほど上滑(うわすべ)りのうわさ話に落ちる。真実を知る者はその本人・本体のみであると。


◆君看雙眼色(君看(きみみ)よ雙眼(そうがん)の色(いろ)
 不語似無憂(語らざるは憂(うれ)い無きことを似(しめ)す
 ――槐安国語(かいあんこくご)

『生きるための杖ことば』
( 松原泰道、全国青少年教化協議会 (2001/04)、p176 )

格調高いこの句を和訳するとこうなる。

「私のこの両眼の色を、じっと見てごらん。黙っているのは、憂愁ないことを示したのであるが、語らざる私の心中を知ってくれる人はいない」(飯田利行氏訳)。つづめると、「誰かあって、わが心中を知る」に尽きよう。

この句は、白隠禅師(1768年没)の著書『槐安国語』巻五の「盤山三界」という則の大燈国師(1337年没)の頌(じゅ)「千峰雨霽(は)れて露光(ろこう)冷(ひやや)かなり」に、白隠が置いた著語(じゃくご=自己の見解)である。『槐安国語』は、きわめて難解の書である。

飯田攩院(いいだとういん)老師は「君看雙眼色 不語似無憂」を提唱するにあたり、「人知れぬ思いのみこそわびしけれ、わが嘆きをばわれのみぞ知る」との一首の短歌で示しておられる。しかし、いわゆる愛欲の情歌として引用したのではないことは言うまでもない。

すなわち、誰もの心の奥底に埋(う)もれている純粋な人間性は、筆舌では表現不可能である。それをあれこれと説明するが、説明すればするほど上滑(うわすべ)りのうわさ話に落ちる。真実を知る者はその本人・本体のみであると。

「憂い無き」はいわゆる憂愁ではなくて、心に何も隠していないありのままを表象する。また唐木順三氏は、「口に出していえず、文字で伝え得ないところを、禅者は“風流”という」と紹介される。(『日本人の心の歴史』)

良寛(1831年没)は『君看雙眼色 不語似無憂』をこよなく愛誦(あいしょう)したという。良寛の研究者、飯田利行博士によると、「この句は言葉のアイロニー。千万言を費しても、その憂愁慷慨(こうがい)の念が癒されぬとき、良寛和尚はきまって天に哭(こく)し、地に働(どう)ずる。が、心の平静を取り戻すに及んで、はじめて筆をとる」(『良寛詩集訳』と。
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