電脳筆写『 心超臨界 』

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( ジグ・ジグラー )

人間学 《 「乱世の学」と「治世の学」――伊藤肇 》

2024-06-22 | 03-自己・信念・努力
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まさしく、乱世には「乱世の学」、治世には「治世の学」が必要である。もし、その適用を誤まると、再び、大混乱をひきおこすことになりかねないのである。「天下ヲ以テ人ニ与ウルハ易ク、天下ノタメニ人ヲ得ルハ難シ」と孟子の一言にもあるように、天下を他人に譲ることは、まだ容易だが、譲った後、天下のために最良の人材を得ることは、たやすいことではない。


『人間学』
( 伊藤肇、PHP研究所 (1986/05)、p58 )
第2章 人品骨柄の人間学

◆「乱世の学」と「治世の学」

この運命に関連して、生々しいエピソードを思い出す。

「財界総理」といわれる経団連会長の座が土光敏夫〈東芝相談役〉から稲山嘉寛〈新日鉄会長〉へバトンタッチされると取沙汰され、大部分の新聞が、それを決定的人事として報道した。

ところが、結果はひっくり返って土光留任となった。

たしかに土光が「81歳となったので老齢のため、後進に道を譲りたい」と洩らしたのは本音である。

筆写自身、それをきいた時、「土光は人生の五計のうち、老計を考えているな」と直感した。

人生の五計とは次の五つである。

第一に「生計」。我、いかに生くべきか。普通、生計というと、「暮らし」の意味だが、ここでは、もっと本質的な問題。

第二に「身計」いかに身を立てるか。自分の社会生活のあり方。

第三に「家計」。家庭をいかに営み、維持してゆくか。

第四に「老計」。いかにうまく年齢をとるか。美しく死ぬのは、さほどむつかしいことではない。だが、美しく老いることはむつかしい〈アンドレ・ジイド〉

第五に「死計」。いかに死すべきか。「死をみること帰するが如し」というところまでいけば「死計」を確立したといえよう。

この「五計」を要約すれば、結局は第一の「生計」つまり「いかに生きるか」に尽きるが、人間である以上、老いれば、その延長線上に死が待っているのは当たり前のことである。

事実、老人に会う時は、必ず、〈あと、こうして何回くらい会えるだろうか〉という思いが胸中をよぎる。そして、「一期一会」の言葉の重さを嚙みしめるのが常だが、なかには、この「当たり前のこと」を全く感じさせない老人もたまにはいる。

土光は、その数少ない老人の一人だが、それだけに「老計」の意味は重大である。

そのせっかくの「老計」がまっこうから否定されてしまったのは、今年〈昭和53年〉は日本経済が乱気流にもまれる年で、すぐれた指導者が強力なリーダーシップを発揮しないと、日本株式会社は沈没してしまうからだ。

それは、政界が最も重大な時期にもかかわらず、「モーニングをきた蝙蝠安(こうもりやす)」といわれる無能なバルカン政治家、三木武夫を総理にしたばかりに、自民党株式会社は更正法適用寸前にまで負い込まれた苦い経験をもっているので、財界が一層、神経質になったのである。

シューマン・プランの作成者、ロベール・シューマンは「政治における最悪の態度は、決定を行い得ない態度であり、さらに悪いのは相矛盾する決定を行うことである」といっているが、一国の指導的地位にある人物が、事にあたって、明確な決定を行う勇気に欠け、部下から、あるいは国民から、その軽重を問われるようなことがあると、それは国家滅亡の原因になる、という意味である。三木武夫は、まさにそのダメ政治家の典型を演じたのだ。

例えば「独禁法の改訂」である。

それまでは独禁法のドの字もしらなかった三木が、総理になると間もなく、「何が何でも、この法案だけは通す」といきまいたものの、猛反対にあって、「やはり無理か」とひっこめるとみせかけておきながら、三木一流の陰湿な裏面工作で共産党の要求まで丸のみにして衆議院を全会一致で通過させ、〈してやったり〉とほくそ笑んだのも束の間、参議院で、あえなくも討死となった醜態は、三木自身の鼎の軽重を問われるものだ。


いうまでもなく、この三木武夫と稲山嘉寛とでは、見識においても、現実処理能力においても、品性においても、天地雲泥の差である。しかし、どちらかといえば、乱世むきの荒法師、土光に比べると、稲山は運命に従順な治世むきの財界人である。

ちょっと、その生いたちをみてみよう。

稲山は花のお江戸のどまんなか、銀座五丁目に生まれ、泰明小学校に入り、中学は府立はむつかしいからと錦城中学に進んだ。四年で水戸高校を受けて失敗。五年の時は「杜(もり)の都」にひかれて二高を選んだ。二高時代、兄が法律をやっているのをみて面白くなり、東大法科を志したが、むつかしそうなので、無試験で入れる商学科を選んだ。

評論家の草柳大蔵はこれを評して「これは稲山が怠けものだということではなく、一途に思いつめることを野暮とみる銀座育ちの性格が人生を多目的にみさせているのである」といっているが、要するに運命に逆らったことは一度もなく、その従順さが運命の神にも愛されてぐんぐん伸びてきたのである。

だから、「運命にチャレンジする」タイプの土光に今年の経済乱世をのりきってもらい、大体、治世への荒ごなしが終わったところで来年〈昭和54年〉5月、「運命に愛される」稲山にひき継いでもらうのが、「最も理想的な交替だ」というのが「財界」の考え方である。

まさしく、乱世には「乱世の学」、治世には「治世の学」が必要である。もし、その適用を誤まると、再び、大混乱をひきおこすことになりかねないのである。

「天下ヲ以テ人ニ与ウルハ易ク、天下ノタメニ人ヲ得ルハ難シ」と孟子の一言にもあるように、天下を他人に譲ることは、まだ容易だが、譲った後、天下のために最良の人材を得ることは、たやすいことではない。
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