電脳筆写『 心超臨界 』

嫉妬のナイフは詳細を極めて研ぎ澄まされる
( ルース・レンデル )

生きるための杖ことば 《 釣月耕雲――松原泰道 》

2024-08-23 | 03-自己・信念・努力
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普通、釣りといえば魚を、耕すといえば田畑をとの目的語がある。いずれも何らかの収穫が目当てとなる。その収得を忘れ、ただ釣りのために釣り、耕すために耕すのを「釣月耕雲」という。ただ無心に、只管(しかん)に坐禅をする(古風を慕う)態度を象徴するのが、釣月耕雲だ。生活のための労働ではない。さとりを開くもの欲しさの坐禅ではない。ただ坐るのだ。釣竿一本に、鋤(すき)一丁に成りきるのだ。


◆釣月耕雲(ちょうげつこううん)――永平広録(えいへいこうろく)

『生きるための杖ことば』
( 松原泰道、全国青少年教化協議会 (2001/04)、p96 )

「月に釣(つ)り、雲に耕(たがや)す」は道元禅師の次の偈(げ)の一句である。偈(偈頌(げじゅ))は梵語(サンスクリット)のガーターの漢訳で、詩とか韻文を指す。禅門では、自然の風景をかりて禅のこころをうたいあげるのを偈という。

「西来祖道我伝東 釣月耕雲慕古風 世俗紅塵飛不到 深山雪夜草庵中(西来(せいらい)の祖道(そどう)われ東(ひんがし)に伝(つた)う、月に釣り雲に耕して古風(こふう)を慕(した)う、世俗(せぞく)の紅塵(こうじん)飛(と)んで到(いた)らず、深山雪夜草庵(しんざんせつやそうあん)の中(うち))」

西方インドから伝わった達磨(ダルマ)大師の禅法を、私は日本に伝える。漁師が釣りをし、農夫が耕すにも似て、私も修行に励み、古風を慕う。ここには、俗塵(ぞくじん)のよりつく隙(すき)は一つもない。今、私は深山の雪の夜の小庵に坐っている――と。

この偈の中心は「月に釣り雲に耕す」にある。普通、釣りといえば魚を、耕すといえば田畑をとの目的語がある。いずれも何らかの収穫が目当てとなる。その収得を忘れ、ただ釣りのために釣り、耕すために耕すのを「釣月耕雲」という。

ただ無心に、只管(しかん)に坐禅をする(古風を慕う)態度を象徴するのが、釣月耕雲だ。生活のための労働ではない。さとりを開くもの欲しさの坐禅ではない。ただ坐るのだ。釣竿一本に、鋤(すき)一丁に成りきるのだ。

「古風を慕う」の「古」は、今や新に対する古ではない。昔はよかったとの懐古の念ではない。昔から今へ、さらに未来に脈動するほとけのいのちである。よって「古」とは、永遠の今に外ならぬ。その永遠の今の一瞬を、ここ「深山雪夜の草庵」に坐っている。

道元が坐るのではない。永遠のほとけが坐っている。それは、百丈禅師の「独坐大雄峰(どくざだいゆうほう)」に通じよう。百丈は大雄峰に今も独坐しているが、道元もまた今日も、越前に山居しておられるのだ。
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