世間には、財を貯めこむだけを生きがいにして、金もうけに奔走する人間もいる。確かに、身も心も金もうけに捧げつくせば、十中八九金持ちにはなれるだろう。頭を使う必要などほとんどない。稼ぎより支出を少なくしてケチケチ蓄えていけば、やがて黄金の山も築けるというわけだ。 . . . 本文を読む
人間の生命は尊い。尊いものは誰もが尊重しなければならぬ。ところが、自分の生命の尊いことはわかっても、他人の生命もまた尊いことは忘れがちである。ともすれば私心に走り私利私欲が先に立つ。つまり、自分にとらわれるということで、これも人情としてやむをえないことかもしれない。しかし、これでは、ほんとうに、おたがい相互の繁栄は生まれないであろう。 . . . 本文を読む
およそ我々の心のなかに生ずるいろいろな思い方や考え方、さらにその思い方や考え方をまとめてできあがる思想や、あるいは一連の観念というものの大部分は、外界から我々の目なり耳なり、あるいはその他の感覚器官を通じて、いつの日か知らずに、心のなかに受け入れられたいろいろの印象が、その原因的要素をなしているんです。 . . . 本文を読む
日本サムスンは、テレビで放映された家族の姿に共感し、「わが家の家族記念日」というキャンペーンをはじめてくれた。広告主と視聴者が共感する番組が、素敵なメッセージを生む番組になる。 . . . 本文を読む
いいか、聞いて驚くなよ。おれは世界でもいちばん金持ちと言われた男だった。もとは北東部の出身でな、金で買える物ならなんでも手に入った。だが、1年前、家内が死んだ。それ以来、人生の意味を深く考えるようになった。この人生で、自分がまだ経験してないことがあることに気がついた。 . . . 本文を読む
俳優でもある著者は「自分が物語りを送り届けている年齢の子供たちは、まだ人生をたっぷり愛していて、彼らを引きつけて離さない」と言っています。その豊かでのびのびとした自由な発想は、幼い子供と読むときに、彼らが発することばとなんと共通することでしょう。 . . . 本文を読む
僕の家は代々医者だった。昔、医家というのは地方でまっ先に新しい文化を取り入れた場所で、尾道の港に船が着くたび、父のもとに新しい、珍しい品々が運び込まれた。それらの行く先は蔵である。その宝の山から見つけだしたとびきりの宝物が、ブリキでできた玩具の映写機だった。ところが3歳の僕はこれを、いつも家のそばを走っていく、大好きな蒸気機関車のおもちゃだと思いこんだ。 . . . 本文を読む
ベティ・シャインさんという方の著書に『スピリチュアル・ヒーリング』(日本教文社刊)という本があるんですが、その中で、彼女は次のように言っているのです。「肯定的な態度を志向し、心を広げる(心のエネルギーを高める)と、この現実界の背後にある目に見えぬ広大な世界にある、無尽蔵のエネルギーの貯水池からエネルギーをくみ出すことができます」 . . . 本文を読む
ソニー会長の大賀典雄さんの趣味は、オーケストラの指揮と飛行機の操縦。指揮のほうでは1995年6月、世界最高の楽団の一つイスラエル・フィルハーモニーの定期演奏会に招かれて、並みいる聴衆を前に棒を振った。一流指揮者として遇されたわけで、ただの趣味ではない。飛行機操縦のほうは、単発機からジェット機まで、20年間で7つのライセンスを取った。
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「あくまでそれによって日本の魂を正して、そこに日本の防衛問題にとって最も基本的な問題、もっと大きくいえば、日本と西洋社会との問題、日本のカルチャーと、西洋のシビライゼーションとの対決の問題、これが、底にひそんでいることをいいたいんだということです」 . . . 本文を読む
一般に「自由・自在」というと、〈思いのままにできたり、すること〉に解されます。しかし仏教思想では、もう少し深い意味に自由と自在を解釈します。すなわち「自由」は他から束縛を受けないことです。さしずめ現代の私たちは、言論や結婚の自由など、外側からの制約を受けずにすみます。「自在」は、自由と語感を異にし、人間の内部からの突きあげから解放されることです。 . . . 本文を読む
近水遠山皆有情――前記「清風明月求無価」の対句で、「近くを流れる川の水も、遠くの山のたたずまいも、みなそれぞれ情(こころ)を持っている」と。この情というのは、常識でいう人情とか、生きているとかいう平面的な意味ではない。ほとけのこころ・永遠のいのち・不滅の真理を指して言っている。 . . . 本文を読む
趙普は沈着で意志が強く、決断力も抜群で常に天下のことをもって自分の責任としていた。もちろん、皇帝太祖とは有無相通ずる仲だったが、時として意見がくい違うこともあった。例えば、こんなこともあった。趙普がある人物を抜擢して重要なポストにつけようとしたが、どういうわけか太祖が首を縦にふらなかった。 . . . 本文を読む
いくら神学を勉強しても信仰が深くなるわけではない。あるいはだんだん神から遠ざかるであろう。いくら科学を研究しても、安心立命が得られるわけではない。あるいは自己を喪失することもあろう。魂の感動に基づかねば真の生命を得ることはできない。 . . . 本文を読む