電脳筆写『 心超臨界 』

心地よいサマーレインのように
ユーモアは一瞬にして大地と空気とあなたを洗い清める
( ラングストン・ヒューズ )

人間学 《 今道直言の下敷き――伊藤肇 》

2024-05-28 | 03-自己・信念・努力
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趙普がある人物を抜擢して重要なポストにつけようとしたが、どういうわけか太祖が首を縦にふらなかった。皇帝が人事を否決した以上、宰相としてはそれに逆らわぬのが常識である。ところが、趙普は何くわぬ顔で、同じ人物を奏上した。もちろん、一言の下に却下である。だが、趙普はその翌日もまた同じことを奏上したため、とうとう太祖が怒りだし、「仏の顔も三度までじゃ」と喚いて、上奏書を破って、床へ投げつけた。


『人間学』
( 伊藤肇、PHP研究所 (1986/05)、p202 )
第7章 側近の人間学

◆今道直言の下敷き

この今道の直言のしかたには、ちゃんとした下敷きがあった。

朱子が編纂した『宋名臣言行録』にでてくる宋の太祖と「社稷の臣」といわれた趙普(ちょうふ)とのやりとりである。

宋ノ趙普、沈毅果断ニシテ、天下ヲ以テ己ガ任トス。
嘗(かつ)テ、某人ヲ除(じょ)シテ某官トナサント欲ス。上(しょう)用イズ。
明日(めいじつ)、マタ之(これ)ヲ奏ス。マタ用イラレズ。明日、マタ之ヲ奏ス。上(しょう)、怒リテ、其ノ奏ヲ壊裂シテ地ニ投ズ。
普、顔色自若(がんしょくじじゃく)トシテ、オモムロニ奏ヲ拾イテ帰リ、補綴(ほてつ)シテ明日、マタ之ヲ進ム。
上、スナワチ寤(さと)リテ之ヲ用ウ。ソノ後、果シテ職ニ称(かな)イ、ソノ力ヲ得タリ。


趙普は沈着で意志が強く、決断力も抜群で常に天下のことをもって自分の責任としていた。もちろん、皇帝太祖とは有無相通ずる仲だったが、時として意見がくい違うこともあった。

例えば、こんなこともあった。

趙普がある人物を抜擢して重要なポストにつけようとしたが、どういうわけか太祖が首を縦にふらなかった。

皇帝が人事を否決した以上、宰相としてはそれに逆らわぬのが常識である。ところが、趙普は何くわぬ顔で、同じ人物を奏上した。もちろん、一言の下に却下である。だが、趙普はその翌日もまた同じことを奏上したため、とうとう太祖が怒りだし、「仏の顔も三度までじゃ」と喚いて、上奏書を破って、床へ投げつけた。

すると、趙普は顔色一つかえずにそれを拾って帰り、もと通りにつづりあわせたのを平然とさし出した。さすがにここで太祖も反省し、その人事を裁可するにいたったが、果して趙普の推した人物は仕事の処理もテキパキとしていて、大いに実績をあげた。

第一は、皇帝太祖と宰相の趙普とが相許した仲で、いかなることをいっても誤解がないこと。

第二は、趙普に全く私心がなかったこと。

第三は、信念にもとづいて反復連打したこと。もっとも、信念がなくては、反復連打などやれるものではないが……。
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