カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

自分が本当に書きたいものとはいったい

2011-01-21 05:34:38 | Weblog
 ここ数日気分や身体に余裕がなくて更新をしていませんでしたがおかげさまで相変わらず暮らしております。

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 1月18日(火)夜は、仕事の後でサントリーホールの東京都交響楽団演奏会を聴きました。

『東京都交響楽団 第710回定期演奏会 Bシリーズ
~〈日本管弦楽の名曲とその源流(11)〉プロデュース:別宮貞雄~』
2011年1/18(火)19:00開演(18:20開場)
プレトーク 18:35~18:50 権代敦彦(作曲家)・片山杜秀(音楽評論家)
会場:サントリーホール
出演:J・シュトックハンマー(指揮)向井山朋子(P)古川展生(vc)
曲目:
プーランク:組曲「牝鹿」
M・A.ダルバヴィ:ヤナーチェクの作品によるオーケストラ変奏曲
権代敦彦:ゼロ ― ピアノとオーケストラのための
田中カレン:アーバン・プレイヤー(都会の祈り) ― チェロとオーケストラのための(日本初演)

組曲「牝鹿」は、プーランクの愉快かつ美しいウィット感満載の名曲。生演奏で聞くのは初めて。客席で聴いていてすごく楽しかったです。「ヤナーチェクの作品によるオーケストラ変奏曲」は、初めて聞きましたが、たいへん聴きやすい美しい曲でした。ごくごく普通の「○○の主題による変奏曲」形式でないところがこの作品のミソ(魅力)かもしれません。権代氏の「ゼロ」は、音楽的には二台ピアノとオーケストラのための曲ながら、ステージには独奏ピアノ1台とオーケストラ(オーケストラ楽器としてのピアノ1台を含む)を配置する形になっていて、二台のピアノの掛け合いやオーケストラの音響がユニークかつスリリングで、面白かったです。で、当夜のプログラム中で私が出色の作品と思ったのが最後の田中カレン氏の「アーバン・プレイヤー」。ジャンル分けすれば「ミニマルミュージック」に区分されるのかもしれませんが、映画音楽のようにたいへん聴きやすくて美しいメロディの横溢した「祈り」の音楽。久石譲氏の書かれる映画音楽にも通じる雰囲気を感じさせるような曲でした。機会があったらこれからまた何遍も聞いてみたいと感じ、また、今まで不勉強で田中氏のさまざまな作品のことを知らなかったのですが、いろいろ聞いてみたいと思いました。

(ご参考)
田中カレン氏インタビュー(聞き手:小沼純一先生)
http://tower.jp/article/interview/73459

(前略)
田中氏:最近は、映像と音楽に興味があり、カリフォルニアへ引越してから、ドキュメンタリー映画やアニメの音楽も作曲しています。パリに住んでいた頃は、トリスタン・ミュライユからスペクトラル音楽を、ルチアーノ・ベリオからヨーロピアン・モダニズムを学びましたが、そうした勉強の下積み時代を経て、今は自分が本当に書きたい音楽を書いている実感があります。現在は、ラジオ・フランス委嘱のオーケストラ作品、ピアノ作品《テクノ・エチュードII》、カワイ出版から出版予定のピアノ曲集《地球》を作曲中です。
(後略)

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 昨晩は、短歌同人誌「町」第4号を頂戴しました。全体を拝見して粒のそろった作品レベルの高い一冊と思いましたが、とりわけ、吉岡さんのユニークで力のこもった連作「No Mouth」と服部さんの繊細な詩情にあふれた連作「スカボロー・フェア」に惹かれました。


 これからの時間をつかって自分が本当に書きたいものとはいったい何かについて、いろいろ考えてみたいです。
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今朝は五時に

2011-01-17 05:50:16 | Weblog
今朝は五時頃に目が覚め、夢の中で聞こえてきた短歌8首を枕元の紙にメモしました。ラヂオを点けると、阪神淡路大震災から十六年の番組。五時四十六分に私も黙祷を捧げました。


仕事の後の今晩、青山ブックセンター六本木店で開かれるという大森望氏と西崎氏の対談催しを覗いてみたいです。


今日発表の芥川賞は朝吹さんが獲られるのではないかなという気がしますが、さて、どうなるでしょう。
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今日

2011-01-16 22:02:49 | Weblog
夕方、お寺のお手伝いから帰ってきて、2月末締め切りの塔新人賞30首の構想をあれこれ練るつもりで、ラヂオの寄席番組などを聴きながら、歌誌『塔』12月号をぱらぱら拾い読み。そういえば、池袋のジュンク堂に納品した『塔』12月号の売れ行き、なかなか好調のようです。あと残り1冊だとか。ラヂオの落語が終わったので、『塔』12月号をいったん脇に置き、漫画『マエストロ』第一巻に手を伸ばしました。しばらくこれを読み進めることにします。
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今年の歌会始

2011-01-15 14:01:08 | Weblog
今年の歌会始、お題は「葉」。

 *****

(永田和宏先生)

青葉木莵(あをばづく)が鳴いてゐるよと告げたきに告げて応ふる人はあらずも

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(京都府 桑原亮子さん)

霜ひかる朴葉拾ひて見渡せば散りしものらへ陽の差す時刻

 +++++

 来年の歌会始の題が「岸」に決まり、宮内庁は十四日、応募要領を発表した。応募は一人一首。「岸」を使った未発表の歌で「岸」の文字を使えば「海岸」のように熟語でも構わない。
 習字用半紙を横にし、右半分に題と歌、左半分に郵便番号、住所、電話番号、氏名(振り仮名付き)、生年月日、職業を記載。無職の場合、元の職業があればなるべく書く。「主婦」も可。
 毛筆を使い、縦書きで自筆するのが原則だが、病気や障害で難しい場合は、代筆や本人によるパソコンの印字でも構わない。その場合は代筆者の住所と氏名や理由を別紙で添える。視覚障害のある人は点字でもよい。海外からの応募は半紙や毛筆でなくてもよいが、用紙の大きさは縦二十四センチ、横三十三センチ。
 宛先は「〒100-8111 宮内庁」とし封筒の表に「詠進歌」と記す。九月三十日の消印まで有効。宮内庁のホームページでも案内している。

(以上、東京新聞記事より)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011011402000193.html
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昨日

2011-01-14 06:59:59 | Weblog
昨夕、仕事の後、花粉症の薬をもらいに病院へ。昨年は2月7日頃に薬をもらいに行ったので、今年はひとつきほど早い。花粉症対策は早めに薬服用を始めるのが肝要らしいです。仕方がない。父方も母方も鼻アレルギー体質。兄妹のなかでは私だけがしっかり受け継いでいます。春というのは、本当に、初代アレルギーの先祖と杉山植林を盛んにしてくれたひとたちをうらめしく思ってしまう季節です。。
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ラメント

2011-01-12 11:24:16 | Weblog
ラメントは低く流れぬ 図書館の前にガラスの靴があること
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石川県加賀市大聖寺町の本光寺

2011-01-11 11:40:33 | Weblog
メモです。。。

石川県加賀市大聖寺町の本光寺
http://www.geocities.jp/seppa06/1001/hukada.html

大聖寺前田藩家老山崎権丞家の菩提寺です。

山崎権丞家は、私の直感的妄想(?!)によると、松濤権之丞の父方のルーツではないか。。。。と思われる家です。

権之丞が出生後「庶子」として成育する中でどれぐらいの期間「(前田のさる家老だったという)実の父親」と連絡をとっていなかったかわかりませんが、少なくとも成人した後には何らかの交流があったようです。文久三年の遣仏使節団の一員として権之丞が渡仏した際に「老父」と連絡をとっていたらしい事実が、内藤遂著『遣魯傳習生始末』(東洋堂, 1943)194頁に書かれています。すなわち、遣仏使節団の一行の帰国の時に、同心町に住んでいた権之丞の老父が、大塚箪笥町にあった、マルセイユで黄熱病のために客死した随員の横山敬一(加賀前田藩家老・横山家の親戚筋の出身)の家族の許を訪ねたそうです。

なお、筆者が松濤権之丞の父方のルーツを山崎権丞家に求める理由は、おもに次の事柄、

・山崎権丞家は大聖寺前田藩家老を務めた家であり、松濤権之丞の家に伝わる「権之丞の実父は《前田のさる家老》」の話と符合すること

・「権之丞」は「松濤権之丞泰明」の通称で、先祖代々受け継がれる名前として松濤権之丞が「権之丞」を名乗った可能性があり、そのことが大聖寺前田藩家老を務めた山崎権丞家の当主が代々「権丞(ごんのじょう)」の通称を受け継ぐことと通じていること

によります。

 *****

越前山崎氏の出自について。


[武家家伝]越前山崎氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/a_yamzak.html

の記事では、

(前略)
越前の戦国大名朝倉氏に仕えた山崎氏は、山城国山崎邑から起こった。『山崎家譜』によれば、赤松則村(円心)の子氏範の孫、肥前守某が山城国山崎邑落居し、その邑名をもって姓にしたと伝える。その七世の孫、肥前守長時に至って朝倉孝景(英林)に仕えたという。また長時と同時代に、孝景・氏景・貞景に仕えた新左衛門尉、のちに長門守を称した吉家も知られている。
(後略)

とある一方、

松原信之著『越前朝倉氏の研究』(吉川弘文館、2008年刊)
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b32818.htm

によれば、山崎氏の出自は藤原鎌足を祖とする「藤原氏」と見られるとのことです。赤松氏との関係については、「赤松氏家臣」だった事実が「赤松氏の裔」と誤って伝えられたのではないか、とのことです。
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短歌メモ。

2011-01-11 02:44:18 | Weblog
いま、オーボエのメロディがずっとずっと鳴っています。やわらかな音色です。


短歌メモから、です。


》賑やかにかなしみてひとを送りしのちその日の名残りの珈琲ゼリー


》ひつそりと外灯を点けてゆくひとの背中にあかき羽を見てをり


》私(わたし)の舟を降りてゆくときそのひとは帽子被つた頭下げたり
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昨日今日

2011-01-10 04:17:53 | Weblog
昨日も今日も仕事ですので、昨日おこなわれたさいたま歌会にも今日ある予定の横浜歌会にも残念ながら欠席させていただいております。。ところで。


作曲家プロコフィエフが自作品の管弦楽化のために晩年に至るまでオーケストレーターをつねに雇って代わりにスコア書きをしてもらっていたのではないか(つまり、プロコフィエフ自らはピアノスケッチだけ書いてオーケストレーションの筆を執らなかったのではないか)、という話(疑惑?)を裏付けるような、プロコフィエフのオーケストラ作品自筆譜写真満載の興味深い本が出ています。写真を見た瞬間、私は、ああ、やはりそうであったか、、、と思いました。


プロコフィエフ『自伝/随想集』(田代薫訳、音楽之友社)
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短歌三首。

2011-01-08 21:16:32 | Weblog
今日は昼間、広大で気持ちのよい光が丘公園を散歩。夕方過ぎに帰宅してラジオから流れるNHK交響楽団定期演奏会中継を鑑賞。今回は、一曲目が小菅優さんのピアノによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第一番で、二曲目がチャイコフスキーのマンフレッド交響曲。素敵な演奏に耳傾けながら塔に出す今月分の短歌詠草十首を清書。以下はそのなかから三首です。メモ。


子の《崖》とふ名の文字すらも書けなくなりてえーんえーんと泣いてゐる瀧


ラベンダーの香りは合図かもしれぬ 届いたばかりのあかきスリッパ


永訣を言ひかねおかはり頼んでゐたか 焙じ茶六杯呑み干しそのひと帰りぬ
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