カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

レンヌ・ル・シャトーのことなど。(メモ)

2006-02-28 12:56:45 | Weblog
 興味深い話のメモです。

                ☆

「ダ・ヴィンチ・コードは盗作」と提訴=出版差し止めの可能性も
 
【ロンドン27日】世界的ベストセラーとなった米作家ダン・ブラウン氏の小説「ダ・ヴィンチ・コード」は、自分たちの著書からアイディアを盗用しているとして、歴史学者2人がロンドンの裁判所に提訴し、公判が27日に始まった。
 訴えたのは、ヘンリー・リンカーン氏とともに1982年に「聖なる血と聖杯」を著したマイケル・ベイジェント、リチャード・リーの両氏。2人は「ダ・ヴィンチ・コード」の多くの部分は、「聖なる血と聖杯」を参考に書かれていると主張し、発行元の出版社ランダムハウスを訴えた。
 2人は著作権がさらに侵害されるのを阻止するため、差し止め命令を求める見通し。認められれば、ランダムハウスが「ダ・ヴィンチ・コード」を出版できなくなる可能性もある。
 オブザーバー紙によると、ランダムハウスの弁護団は裁判で、過去何世紀にもわたり、作家たちは互いに筋書きやテーマ、アイディアを借り合ってきたと強調。シェークスピアの戯曲も「真夏の夜の夢」を除くと、すべて他の作品からアイディアを拝借していると主張する方針。
 「聖なる血と聖杯」は、イエス・キリストとマグダラのマリアが結婚して1児をもうけ、現代も血統が続いている事実をカトリック教会が隠そうとしていると論じている。一方、「ダ・ヴィンチ・コード」も、バチカンがキリストに関する真実を覆い隠す努力をしていると述べている。
(時事通信) - 2006年2月28日0時43分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060228-00000000-jij-ent

                ☆

『Holy Blood, Holy Grail』(Paperback)
by Michael Baigent, Richard Leigh, Henry Lincoln
Publisher: Dell; Reissue edition (January 15, 1983)
ISBN: 0440136482

"We believed at first that we were dealing with a strictly local mystery-one confined to a village in the south of France..."

http://www.amazon.com/gp/product/0440136482/104-8768979-5943142?v=glance&n=283155

                ☆

以下は、http://www.voynich.com/seminar.htm に掲載されている文章です。

(以下、引用させて頂きます。)

11月15日に東大駒場の留学生会館で、「現代のミステリー」という題でホセ・ベルトラン・エスカビさんが講演を行いました。彼はスペインからの留学生で、現在東大の博士課程で学んでいます。当日の主催は「メンサ」という留学生の集まるサークルが行いました。見に来た皆さんも外国から人が多く、日本人は僕を含めて3人でした。(講演、ディスカッションは英語で行われました。一部通訳の人が付きました。)現在は彼はすでに博士課程を卒業してオランダへ行ってしまいました。
テープ起こしに関して:録音は会議用のものを使っただけですので、録音は状態があまり良くないことと、僕の英語のヒアリングがあまり良くないため、不明なところがあります、ご了承下さい。

**

「現代の不思議」
第一部 「The mystery of Rennes-le-Chateau」(110分)

急にお金持ちになった、レンヌ・ル・シャトー村の神父さんの話です。

ホセさんの講演→ディスカッションと続きました。

当日の様子(参加者は15人位でした。)
ホセさん:今日話す内容は二つあります。そして最初はレンヌ・ル・シャトーの話です。カタリ派と関係あるかは分かりません。とても奇妙なことが起こりました。いくつかの出来事が起こりました。奇妙な状況でです。それについて私はこれから話したいと思います。そして皆様にはそれについての興味深いコピーを用意してきました。えーと、すぐにもう少しの人がきますね。(5分待ち)

O.K.それでは始めましょう。私たちが今日話すのはミステリーについてです。それらは歴史的に不思議なミステリーであります。UFOやミステリーサークル(Crop Circle)、それに関係する愚かなことは話しません。私は私たちが知っているたくさんのことについて話しますが、しかし何が起こったのかは分かっていません。それが私がミステリーと呼ぶ理由です。予定では私が話をします。それについて説明します。その後誰でも話したい人がいれば、議論します。ではスピーチを聴いて下さい。誰でも興味を持てると思います。最初の一つは「レンヌ・ル・シャトーの謎」についてです。話の中でいくつかの資料を使います。そして何枚かの写真のコピーを配っておきました。初めに話すのはレンヌ・ル・シャトーについてです。レンヌ・ル・シャトーについては2枚のコピーを配ってあります。

What is a Rennes-le-Chateau? (レンヌ・ル・シャトーとは何?)

レンヌ・ル・シャトーとは南フランスにあるとても小さな村です。配った写真のNo.1に見える村がそうです。これがその村ですが、とても小さい。この小さな村で19世紀末に一連の奇妙な出来事が起こりました。レンヌ・ル・シャトー村では1885年頃に…、えーっと確かめるためにこの本(「Holy Blood, Holy Grail」のこと)を見ますね、1885年にこの小さなフランスの村に新しい教区司祭が赴任してきた。彼の名はベレンジャー・ソニエール(B駻enger Sauni鑽e)です。彼の写真があります。大きい紙の立っているこの男です。ソニエールは…

(新たに参加者が現れたので2, 3分中断。)

彼は典型的な村司祭で、つまり言いたいことは、その村はとても小さく、司祭はとても貧しい、つまり彼はお金をたくさん持ってはいなかった。1891年にソニエールはその村の古い教会を修理し始めた。そして彼は中が空洞になっている柱の中に木の筒に入っている4つの古文書があるのを発見した。書いてあるのは明らかに暗号であった。

彼はこれについて取り組み始めた。そして彼の上司に接触し、彼[上司]はすぐにソニエールを(暗号の)専門家に会わすためにパリへ派遣した。彼の名は…、ちょっと待って、今確認します、そう、アベ・ビエイル(Abbe Bieil)であり、彼はパリの神学校を統轄する人物であり、また古文書、古文字の分野では重要な人物であった。そして一応文章は解読された。現在でも(暗号が解読される前の)元の文章と(解読された)後の文章が残っていますが、何を意味しているのか全くわかりません。
そしてこの暗号が解読された1891年からソニエールが死亡した1917年の間に興味深いことが起こりました。

多額のお金について話します。

(テレコの電池の入れ替えのため数十秒失われています。)

一千万ポンドのお金、彼はそのお金を使って教会、彼自身の家や、召使いのための家を建て直し、そしてヨーロッパ中の人たちとの交流のためにお金を使った。そしてこのお金がどこから入手したものなのか、誰にも分かっていません。ある人は彼が発見した文書は宝の地図であったと思いました。しかし彼が実際の物としての金や、宝石を発見したと考えない方がいいでしょう。つまり一千万ポンドというとても多額のお金は金やその他を発見したものとして換算すると、莫大な量になってしまうからです。だから何らかの情報という形で発見したと考えられます。

もうひとつ興味深いことは司祭[ソニエール]はたくさんの王族達と付き合い始めました。彼はVIPたちを彼の家に招待しました。例えばフランスの王族や、ハプスブルグ家の人たちです。

そして1916年にはとてもすごい人が訪問しました。ドイツのハプスブルグ家の人が彼を訪れました。ハプスブルグ家というのはドイツの王家と密接に関係しています。そしてこのハプスブルグ家の王子(ヨハン・フォン・ハプスブルグ大公,Archduke Johann von Hapsburg)が1916年にフランスにいるソニエールを訪問しました。これはとても重要なことです。その当時フランスとドイツは戦争をしていました。そしてドイツ人であり、かつ重要な立場の人間がフランスを訪れたのです。この村の司祭を訪れた理由は全くわかりません。

このソニエールは多額のお金を使い続けましたが、1917年1月17日に脳卒中で倒れました。そして死んだのは1月22日です。
興味深いことがあります。脳卒中で倒れる前、彼は完全に健康そうに見えました。彼[ソニエール]には30年以上という長い間仕えてきた女性の召使いがいました。彼女[召使い]は(まだ健康であった)1月12日に彼女の主人[ソニエール]のためにほかの町まで棺を買いに行きました。

1905年にはとても興味深いことが起こっていた。この司祭[ソニエール]は前彼の上司とは良い関係であった。しかしこの司教が死に、新しい司教が赴任してきてソニエールに金の出所を尋ねた。彼は強硬な態度で答えることを拒絶したが、これはカトリック教会のような強固なヒエラルキーの中では驚くべきことであります。

その(ソニエールの上司にあたる)司教はソニエールを聖職売買(simony)の廉(かど)でローマに告発した。しかしその後ソニエールはバチカンとコンタクトを取り、バチカンは訴えのすべてを却下した。とても奇妙に感じたことと思う。カトリック教会の中で最下位の教区司祭が、上位の司祭の告発を覆すことはとても珍しい。しかも彼はバチカンに直接コンタクトを取ったのだ。そしてバチカンはそれを認め、告発を却下した。

そして彼は新しい教会や、その他の新しい建物を建てる際には、とても奇妙な文字で書かれたものを配置したりした。あまり教会らしからぬものが多数存在する。例えば新しく建てられた教会の入り口の上にはラテン語で文字を刻んだ。

TERRIBILIS EST LOCUS ISTE
(ここは恐ろしい場所)

この司祭[ソニエール]が死ぬ際、つまり脳卒中で倒れた後だが、ほかの教区から若い司祭が最後の告解のため呼ばれた。その若い司祭が病人の部屋に入り、しばらくの後ゆっくりと出てきたときには、彼[若い司祭]の顔は真っ青であった。彼はその後二度と笑うことはなかったということだ。そしてそれにも増して衝撃的であったのは彼[ソニエール]が臨終の際の秘蹟を受けることを拒否したことであった。
そして死に際し、今日の記録が間違っていなければだが、彼は告解による罪の赦しを得ることなく死んだ。これは司祭であるはずなのに、全く信じられないことだ。

そしてソニエールの葬式はまたまた奇妙なものであった。残されている記述によると、彼はひじ掛け椅子に座らされて埋葬されたということだ。そして彼の家の門の前に埋葬された。それから誰だか分からない会葬者の一団が村を訪れた。彼らは座っている彼の前に立ち、彼の着ている衣装を小さく切り取り持っていきました。その後彼は埋葬されました。その儀式にどのような意味があったのか誰にも分かりません。その村の住人はそれを目撃していたのですが、何が行われたのか全く理解できませんでした。

そして皆がソニエールの遺言状が読まれるのを心待ちにしていた。なぜなら彼はとてもお金持ちであり、たくさんのお金を使った。そして残された財産がいくらになるのかを期待していた。
そして遺言状が読まれたとき、みんなはがっかりしてしまった。なぜならソニエールが一文無しなのを宣言していたし、つまり彼はお金を全く持っていなかったのだ。そしてすべての彼の所有物は彼の召使いであった女性に譲られていた。
彼女は1953年まで生きていた。彼女は余生を静かに暮らしたということです。
第二次世界大戦後の1946年に新フランス政府は新しい通貨を発行した。そして戦争協力者、ナチの協力者、税金支払い忌避者の摘発が目的で、旧貨から新貨への切り替えの際にそのお金の出所を説明しなければいけないこととなった。

出された法律はこうである:何人も旧フランから新フランへの切り替えの際にはそのお金の出所を説明しなくてはならない。

そして目撃者によると、ソニエールの召使いは出所を説明し、お金を交換することよりも、庭で札束を積み上げて燃やすことを選びました。そして彼女は家の一軒を売って、そのお金で暮らしたということです。彼女は1953年に亡くなりました。

彼女が死ぬ少し前、彼女は家を購入した人に秘密を話すことを約束していました。それはお金持ちになれるだけではなく、権力をも手に入れることができるであろうものでした。しかし不幸にも1953年に彼女は突然脳卒中で倒れました。そして喋ることを失いました。もちろん書くこともできなかったのです。彼女はこの後すぐに死去し、彼はとても落胆しました。彼女は秘密を持ったまま死んでしまいました。

そんなわけで誰も何が起こったのか、お金はどこからきていたのか、ソニエールのお金は何であったのか、知っている者はいません。しかし私たちは資料や、新聞や、写真や、文書、手紙などからたくさんの情報を知ることができます。しかしそれらを一つにまとめ、何が行われたのかを知ることはできません。知っているのは原因ではなく結果だけです。

多くの学者はソニエールが発見したものは宝石のような(物質的な)宝物を見つけたのではなく、情報のようなものであったと考えています。そして彼はそれを使い誰かを脅していたと考えています。しかし謎の多くは闇に包まれていて、その村で何が行われたのかという説は様々な観点からたくさん出されています。

そして奇妙な点があります。ある研究者がソニエールについてのことをバチカンの資料室を調べました。しかしその研究者はバチカンの資料庫にいったのですが、たったの一行すらソニエールの名前を見つけることができませんでした。これはとても奇妙なことです。なぜならバチカンは世界中にいるすべての僧侶の名前と住んでいる場所を記録することになっているからです。

そして私たちは彼が確かに存在していたことを知っています。写真や、文書や、その他の情報から、彼は司祭として活動していたこと、その村の司祭として存在していたことを疑う余地はありません。しかし公式の記録ではその村には1885年から1917年まで司祭は存在していなかったことになっています。
そこに何が起こっていたのか誰も分かりません。全く奇妙です。例えば世界を揺るがすほどではないにせよ、何か重要な事態が行われていたと考えられます。

それではどなたからでも質問、コメント、意見など何でも受け付けます。(実際にはここからディスカッションが始まりましたが、僕の英語能力を超えていますので、今回はやめておきます。多くは残された暗号文についてや、秘密とは何か、誰を恐喝していたかなどです。)

僕自身の理解を深め、そして時間ができたときにそれらについては追加していきたいと思います。

これ以上知りたい方はこちらを参考にして下さい:
題名『HOLY BLOOD, HOLY GRAIL』
著者 Michael Baigent, Richard Leigh, and Henry Lincolin
出版社 Dell Readers Service, 1983
英国BBC放送のテレビ番組作成に伴い書かれた本です。変なミステリーではなく、きちんと調査された証拠を元に書かれています。ただしどこまでが真実で、どこからが推測か分かりません。特に秘密結社のあたりについては疑わしい限りだと思うのですが…。現在はペーパーバック版が$7.50で売っています。

なお去年1997年には上記の書の日本語訳本が出版されました。
題名『レンヌ=ル=シャトーの謎』イエスの血脈と聖杯伝説
著者 上に同じ 林和彦[訳]
出版社 柏書房
値段4,800円です。
素晴らしい本ですので、興味がある方は一読をお勧めいたします。

なお、続編としまして、同じ作者で『THE MESSIANIC LEGACY』も出版されています。
著者 Michael Baigent, Richard Leigh, and Henry Lincolin
出版社 Dell Readers Service, 1986, $7.50です。

**

第二部 「The Most Mysterious Manuscript in the World "Voynich Manuscript"」(80分)
ホセさんの講演→僕の植物の話→ディスカッションと続きました。
(後略)

(以上で、引用部分を終わります。)
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