秋。その日、昼過ぎに千駄ヶ谷の木工所の手伝い仕事が終わって今日一日分の日当をポケットに突っ込んで、夕方まで国際きのこ狩り連盟の友人たちと東京の代々木公園できのこ狩りを楽しんだ。そういえば、代々木公園隣りにある国際きのこ狩り連盟の会員控えの間には、アメリカのジョン・ケージという人と日本の武満徹(武満はなんと読むのだろう、、、ぶまん、だろうか)という人の肖像画が並んで掛かっていて、「きのこ狩り愛好者の神」と讃えられているけれども、彼らがどういうひとたちだったかよく知らない。秋になるときのこ飯が格別に美味い。きのこにはいろいろあるけれども、どのきのこも美味いと思う。久しぶりのきのこ尽くしの夜飯のあと、二階や隣りの部屋の住人の気配が珍しくしてこなくてこれは貴重なしずかな夜だと思い、絶好の機会だからと宇宙空間に枝や葉を千年間拡げる大樹から雨滴がひっきりなしに滴っている様子を卓袱台の前に正座し瞑目してイメージしていると、ゆくりなく雨音が屋根を打ち出した。ありゃりゃ風呂屋に行っておくんだったと目を開き、立ち上がって窓のカーテンをずらして外を覗こうとすると、五十冊ほどの積ん読書の峰が二つ三つ、がさりと崩れ落ちた。畳に散らばったシリトーやマードックやジュネやセルバンテスや莫言を呆然と眺めていたら、サンダルを突っかけ足早に引き摺るように歩く音がアパートの廊下に入ってきてこちらのドアの前で止まった。「の、じ、ま、はーん、おるかえー?」としわがれた甲高い大家の声がドアの向こう側からした。「おるでよー、おばはん、こないになんやね?」とドア越しに訊くと、「ささきはんが大変なんや。ちと来てくれんかねー」といつものように語尾を伸ばした。ささきはんというのは大体いつも大家の家の玄関先の床几で日本酒をやりつつ近所の囲碁友達と囲碁打ちを楽しんでいる好々爺で大家の旦那みたいな男であるが、背中に立派な鯉の刺青を入れている。大家のところに二十数年前に地上げ屋としてトラックで乗り付けてきて、どう大家が言いくるめ手懐けたか不明だがそのまま転がり込んで居座り、旦那として住み着いてしまったという話を聞いたことがある。
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