カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

アヒル。

2019-05-16 13:39:37 | Weblog

チェロ協奏曲第1楽章の終結部がしばしばよく鳴っている。一日しごとやすみをいただいた今日は、思い立ってメモしてみようとノートを開いてペンを持った。それは、逃げ回るアヒルだった。まだまだちがう感じがする。

 

 

5月の岩波文庫新刊より。

○緑221-3 夜と陽炎 -耳の物語2-

本体740円+税
開高 健
ベトナムで体感した迫撃砲の轟音,死体が発する叫びと囁き,アマゾンで鳴り響くベートーヴェン――.記憶の中の〈音〉をたよりに生涯を再構築し,精緻玲瓏の文体で綴る自伝的長篇『耳の物語』二部作の後篇.芥川賞を受賞して作家となり,ベトナム戦争を生き抜き晩年にいたるまで,滔々と流れる茫洋たる過去を耳の記憶で溯る.(解説=湯川豊)

○青185-5 コスモスとアンチコスモス -東洋哲学のために-
本体1260円+税
井筒俊彦
東洋思想の諸伝統,それぞれの哲学間を縦断して共通する根源的思惟の元型を探り,新たに解釈し直すことで,東洋哲学の可能性が立ち上がる.イスラーム,禅仏教,老荘思想,華厳経を時間論,存在論,意識論として読み解く.『意識と本質』『意味の深みへ』に続く最後の論集.末尾に司馬遼太郎との生前最後の対談を併載(解説=河合俊雄).

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515。

2019-05-16 08:49:30 | Weblog

515の日が来ると、私の幼少期のあの日、居間に端座した父が厳かに語った話のことを思い出す。

父という人は複雑なひとだった。それは主に、父の産みの母親である私の祖母の極端な自己愛の強さ、自分ひとりが幸せになるためには子どもや周囲がいくら犠牲になっても構わないという利己主義的な考え方が原因なのだけれども、父は人間形成に大切な幼少期において周りから愛情を受けることが全くできなかった。いや、晩年の父が、認知症のひどくなる前に母にぽつりぽつり語った話によると、それは大人たちからの愛情の不作為どころではなくて、ほぼ虐待、いじめだったようだ。幼い父がついつい利発さを見せると、周りは〈なんて可愛いげがない、憎たらしい子だろう〉と父を邪険にしたらしい。それは結局、父がその〈一家の父親とされる人〉の血を引いていないということに起因するものだったらしいが、父だけにそのことが知らされていなかった。父がその事実を知ることになるのは、父が65歳のときに父の産みの母親である私の祖母から父宛に送られてきた一通の手紙だった。それを読んだ父は驚愕し、そしてこれまでのことを理解し納得した。〈何かがおかしい。本当に生きづらい〉といつも思って生きてきたけれども、これだったんだ、と父はポツリと母に呟いたらしい。

ここから話は私の幼少期に飛ぶ。ある程度物心がつくようになった頃の私は、どういうわけだか非常にお城が好きな子どもだった。それは、観光用天守とか復元天守とかへの関心興味ではなくて、廃墟趣味のように城跡の縄張りやお堀・石垣の佇まいに胸がときめき、そのお城の築城から廃城までの歴史や土木技術を深く専門的に知りたいという欲求、好奇心だった。そんな私に父が買い与えてくれたのが『探訪・日本の城』シリーズ(小学館)で、私はそれこそページの綴じが外れそうになるくらいにそれらを手にとり開き眺めた。そんな私があるとき、ふと父に〈お父さん、うちのご先祖さまもどこかのお城に関係があるの?〉と尋ねたことがあった。すると父は、〈みんな、居間に集まりなさい。今からご先祖さまの話をするから〉と厳かに告げて、母や妹たちも呼び集めた。そして父が語った先祖話が、〈うちの先祖はお城とは関係がないけれども、児島高徳や犬養毅という立派なひとたちでね〉という話しだった。それは、当時の父が産みの母親である私の祖母を通してそれこそずっと小さな頃から聞かされてきた話だったらしい。もちろん、本当の事実はちがった。そのおふたりとも、父の育った〈一家の父親とされる人〉の先祖で、父の弟妹たちにとっての先祖だったが、父とはまったく血縁がなかった。今考えればまったくもってこんな先祖話は阿呆らしい。百害あって一利なし。学問探究をしごととして生きて〈本質を見極める事が大事〉を口癖のように言っていた父だったけれども、とにかく、父は騙されてきたわけだ。

昨日は、しみじみとそんなことを思い出した。

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