カームラサンの奥之院興廃記

好きな音楽のこと、惹かれる短歌のことなどを、気の向くままに綴っていきます。

ひとりひとりが生きている意味

2007-07-19 14:33:43 | Weblog
 最近「生きている意味」について考えたことをちょこっと書いてみます。
 もしも自分が誰かの生まれ変わりだったら、と想像したことはないでしょうか。
 今となっては恥ずかしいことながら、私は小学校低学年の頃、作曲家としてのベートーヴェンを非常に尊敬し、自分がベートーヴェンの生まれ変わりだったらどんなに素晴らしいことだろうと思っていました。そのため、時折、洗面所の鏡の前で「ベートーヴェンの肖像画に見られるような厳しいしかめ面」の練習をしていました。。。
 次に、小学生時代の私の「転生願望(?)」の対象になったのは、作曲家のプロコフィエフでした。彼は1953年3月5日に亡くなっていますが、月日だけを見るとこの日付は、ずばり私の誕生日なのです。しばらくは、プロコフィエフの記憶が私の夢のうちに蘇らないかなと寝る前に彼の音楽をいろいろ思い浮かべたりしていました。ちなみに、1953年3月5日は、かの独裁者スターリンの命日でもあります。。。
 そして近頃はというと、ベートーヴェンのことも、プロコフィエフのことも、「転生」ということばすらも、私の頭の中からはすっかり忘れ去られていたのでした。それが、突如として蘇ってきたのは、まことに不思議な話としか言いようがありません。知人のAさんが私に話してくれた、「あなたはE博士の意識を保持し転生しました。 E博士は日本への業と罪悪と慈悲を残しています。今生のあなたによりそれらを解消するのが一つの目的です。」という言葉がきっかけでした。正直なところ、唐突に「E博士」という名前が出てきて戸惑いました。高校時代にしばしば物理のテストで赤点をとっていた私が、かの高名な「E博士」とつながっている(!?)、とは俄かには理解できないことでした。
 しかし、E博士に関するさまざまな本を読むうちに気づいてきたことがありました。それは、「ひとりひとりが生きている意味」ということです。誰それの生まれ変わりかどうかに一喜一憂するのでなくして、その上の次元で、「生きている本当の意味にそれぞれが目覚めることが大事」ということに気づいたのです。
 (続く)
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