江戸時代には士農工商という身分制度があったように教えられたが、現在ではそれは明治の初めの変革を誤って捉えたものと訂正されているようだ。士農工商が教えられ始めたのは明治から百年も経っていない、それこそ文久元治慶応生まれの爺さんや婆さんが生きていた頃のはずなのに、なぜそのように教えられたのだろう。分かりやすい成程と思わせられる説明だったからだろうか。
しばしば歴史は勝者の記録であると言われるが、出来事の見方は立場によって個性によって変わるので歴史は一筋縄では捉えられないようだ。
士農工商は事実とは異なった身分制度であったとしても、得心しやすいものであったのは間違いなさそうだ。武士と農民が上で商が最下位というのはどこからか湧き出す民の不満を和らげるのにいくらか有用だったようにも見える。尤も平成令和と武士は絶滅危惧種になってしまった。