首相主催の桜を見る会が問題になっている。一番の問題は不都合を隠して言い逃れようとする首相の手法にあると思う。税金を使うのは大問題だが、十歩譲れば支持者を優遇したい気持ちは分かる。人徳があれば勇み足だった、大いに反省している申し分けないで済む問題かも知れない。
それを言い逃れようとするから、事実解明よりも強きに加担し弱きを挫こうとする勢力が出てきて、追求している奴こそ自分を棚に上げて告げ口をする性悪だと問題点がずらされて泥仕合になる。
事実を積み上げ筋道を立てて考えなければ、問題を解明することは出来ない。今の政権は記録を適正な処理と称してどんどん破棄している。不都合があれば中止隠ぺいしてしまう。これでは政策の問題点を解明改善することは不可能だ。
桜を見る会の予算が急激に膨らんだのは警備のためと説明しながら参加者名簿を提出しろと言われれば慌てて即日破棄してしまう。参加者を知ることなしにどうして十分な警備が出来るのだろう。もし本当に警備強化のための予算増額であれば、警備用の名簿は別に保存してあるはずだ。
首相の説明は百歩譲っても一流ホテルで明細書がないなど納得できるものではない。突然一方的に説明して幕引きをはかり、さらに追求すれば説明したのに難癖を付けるのかと逆ねじを食らわせる勢力が出てくる。国会で要求されれば更なる説明に出向くというのは与党が多数の国会では要求されないからと読んだ上のことで、説明拒否と同じ意味なのだ。
こうした誤魔化して押し通すやり方をかなりの国民が認めてしまうのは不思議だ。都合の悪い事実を隠す手法ではまともな結果は生まれない。口先の言葉でまやかし続ける人に、代わる人が居ないから、民主党政権はこりごりだというのは思考停止で、自分で考え行動することの放棄ではないかと思う。寄らば大樹としても守ってくれない大樹に寄り添うのは奇妙な気がする。
頭が疲れた夜はブラタモリの録画を見て小田和正を聞いている。