駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

「蔵書の苦しみ」を読む

2013年07月28日 | 

                 

 いつも眼を通すdaily-sumusに「蔵書の苦しみ」岡崎武志著が紹介してあった。その中に理想は五百冊というのがあったので、本当かなと疑問を持った。daily-sumus氏が、本を読んでみれば真意が分かりますよとお返事を下さったので読んでみた。

 申し訳ないが八割方で完読していない。というのは成る程と読んで、どこかに置いたのだが高々昨日のことなのにもう見付からないのだ。本を読む四カ所を捜したが見付からない。そうであれば記憶が無くならない内に少し感想を書いておこう。

 岡崎さんの真意は分かったようで、もう一つしっくり来ない。何だかこれは患者の言明に似ているなと思った。体重計を見ながら

 「83kg、全然減ってないじゃない。80kgは切らなくちゃ」。

 「わかってます。毎日努力してます。ご飯なんか、これくらいです」。

 「そう、気持ちは分かるけど、結果を出さなきゃ」。

 ギーと椅子が軋む音がして、A子さんは憮然と診察室を出て行かれた。

 五百冊と理想体重は意味が違うかもしれないが、望みつつ出来ないところは似ているように思う。

 本当の所、私には岡崎さんの心境を理解するのは難しい気がした。岡崎さんとは微妙に本に対する感覚が違う。私は本そのものに対する愛情は薄い。本を集めるという感覚が欠如している。しかし、所有する本の存在感には脳外記憶、体外思い出としての価値を認めている。

 それに私は本に全く関係の無い仕事をしている。本屋に行くと、いつの間にか数冊、書評(褒めすぎが多い)を読んでアマゾンに注文という習性があるだけで、本を捜すとか本に出会うという感覚が無い。正直なところ最近は買っても読まない本の方が多い。住居も本置きには恵まれており、地下室の壁四面を作り付けの本棚にしてある。床が抜ける心配はない。

 時々ずらりと並んだ本の背を見て、これは読むことはないだろうな、あれは二度と読むことはないだろうなと思う。でも絶対決してではないのだ。いつか思わず手を伸ばして、手に取る時が来るかもしれない。

コメント (2)
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