駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

ある確信

2010年05月18日 | 
 吉村昭の俄読者に過ぎない私が踏み込んだ発言をしては危ういかもしれない。しかし、私は確信を以て吉村さんは妻である津村節子さんの対応を許しているように推測する。見ず知らずの他人の心を忖度することは、けしからん越権なのだが、作家となれば読者の憶測も受け入れてくるだろう。
 彼が望んだひっそりとした静かな人生の解消に気付かず、棺が閉じられた後に怒濤のように押し寄せた世間に薙ぎ倒されて、最後を異形にした彼女の可愛い微かな迂闊さをこそ彼は愛していたような気がするからだ。先に自分の魅力に気付かない女性を彼は愛したと書いたが、その代表が津村節子その人なのだと思う。
 私は第一線の内科医で、何百枚もの死亡診断書を書いてきた。人の死は形が解体されて生まれた以前の元に戻ることだと感じている。もとより人間が理解感知できるような来世は信じないが、さりとて無になるとは思わない。いわば還った後は宇宙と共にあるように考えている。それに何よりも去った人は愛する人の心の中に生きている。
 町医者の小考などを記しても何ともならぬのだが、いつまでも悔悟に暮れる津村節子さんを読んで、幾らかでも慰藉をと畏れ多いことを考えた。ひょっとすると私も自分の愛らしさに気付かない女性に惹かれる質なのかもしれない。
コメント (4)
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