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駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

看護師の仕事から

2009年06月29日 | 世の中
 今は看護師と呼び方が変わったが、我々の年代では看護婦さんが耳に馴染んでいる。看護師は医師に比して数も多く、身近で親しみやすく、その仕事内容は理解されているように見えるが、実際はそうでもないと思う。
 世に嫌がられる仕事の条件に3Kが挙げられる。きつい、汚い、危険だ。まさに第一線で働く看護師の業務内容は3Kそのものだ。テレビで人間模様にスポットを当てたドラマが放映され、看護師世界の組織や女性の生き方の側面の理解は進んだようだが、仕事の内容の理解は不十分に見受ける。
 総合病院勤務では月に何日も徹夜勤務があり、それもほとんどが座る暇もなく、点滴採血下の世話まで、目が回る忙しさだ。それを不平も言わず、笑顔に包んでこなしてゆく人が多い。
 男の患者さんに深夜勤のある人達がおり、朝早く受診されると夜勤で大変とこぼされる。楽ではないと思うが、聞けば仮眠も取っている。看護師の夜勤では朝早く受診することは不可能で、深夜明けの彼女達は昼近くになって帰途に着くのだ。もちろん二十年三十年前に比べれば勤務状態はいくらか改善されていると思うが、3Kは変わっていないと思う。
 私の収入は世間一般から比べれば多い。数多くの患者さんを診ての実働に対する正規に決められた報酬なので妥当と考えているが、総合病院の医師や看護師さんと比べれば多すぎる感じがする。勿論、実働日に数時間で、肩書きと経歴に物を言わせて、年収一千万を超すおじさん達と比べれば、決して多いとは思わないのだが。
 雑駁で乱暴な議論だが、日本社会の給与賃金体系は洗い直される必要があると思う。市場原理主義の反省が喧しい。確かに市場原理は駆動力は強いのだが、既得権と権力側に有利なポジティブフィードバックが掛かってしまい、配分が偏るきらいがある。是正のセイフテイネットの強化は必要だが一網打尽に掛けるのでは意欲を削いでしまう。
 一億の総意などというものは虚妄に過ぎない。民主主義では漸進的補正のみが可能だろう。それも政権交代によって漸く初めて僅かに実現できるもののようだ。
 看護師の激務から連想した町医者の単純な正義感?からの思いつき発言など、複雑な社会経済の知識の裏付けもなく、笑止千万かもしれないが書いてみた。
コメント (2)
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