玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

群馬県嬬恋村

2006年08月12日 | 捨て猫の独り言

 鹿沢館は標高1200メートルの高原にある。創業70年の瓦葺きの旅館だ。鹿沢館のある群馬の嬬恋村と軽井沢のちょうど真ん中に浅間山が位置する。上野からは3時間半かかる。8年前まで毎年中学2年生250名が学校行事で利用していた。45年も続いた。本館2階には全員が集まることができる百畳敷きの大広間がある。旅館の敷地内には7台の貸切バスが待機して連日峠まで運んでくれる。その峠から2000メートル級の山をいくつか登るのだ。昨年に続いて今年も高校生のバスケット部の6泊合宿の引率でこの旅館を訪れた。私は広島の原爆の日から長崎の原爆の日まで3泊した。

 練習はすべて大学生のコーチに任せている。近くにある体育館はアザミ、その他名も知らぬ白や黄色の草花、ヨモギなどで囲まれている。その中に薄紫色の釣鐘状の花を開く草を一株発見した。おそらくホタルブクロだろう。練習の合間に旅館に一人戻って、かけ流しの大浴場に入る。湯は無色透明の炭酸水素塩温泉である。浴槽からはコマクサを眺めることができる。高さ約10センチメートルで6月が見頃という。水はけの良い砂礫が必要だ。細長い花冠の形が馬の顔に似ている。中部以北の高山植物として珍重されている。早朝5時には目がさめて一度目の温泉に入る。唐松林から聞こえる名を知らない鳥の声が私にはトクベツシタノカと聞こえる。水道の水は夏でも身を切るほどに冷たい。

 国語科が出した夏休みの課題図書の一つに小川洋子の 「密やかな結晶」 がある。少しずつ何かが失われていく消滅が主題である。物とその物にまつわる記憶さえも消滅する。記憶が消滅しない人は秘密警察に連行される。体育館の風通しの良い扉の陰でこれを読んだ。私は再び嬬恋村を訪れることはないだろう。これも消滅の一つだろうか。これから消滅は自分に親しい主題となる。練習を横目に、熊笹の枯れ枝の先端に止まったトンボを観察する時間があった。

 トンボは竿の先に止まる。トンボ鉛筆というネーミングは鉛筆先端のイメージから来ているのではないか。また小鳥などと違いトンボは急に後方へ身をひるがえす。トンボは風が強く吹くと、舞い上がって後退し舞い降りながら前進しちょうどもとの位置に戻る。この裏返しにならない円運動を繰り返しながら私のトンボは4時間以上も同じ場所に止まっていた。 「とんぼ返り」 には 「宙返り」と 「ある所へ行ってすぐ引き返す」 との二つの意味がある。観察したトンボの動きからこれらを二つとも説明できたと私は一人で合点した。新しい発見をした気分であった。 

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56)キューバでサルサ

2006年08月10日 | ピースボート世界一周

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 「ビノス・ヌエボス」というダンスグループのリーダーであるラサロとパーッカショニストであるホセにサルサダンスを汗ダラで教わった。(残念ながらサルサの練習風景はなし。ダンサーは肌黒の2人)

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 練習は2通りあって集中して習うワークショップ形式と、さぁ皆で踊りましょう的な一般コース。集中コースを選びながら落伍して後者になった人も?兎も角一般コースは受講者が多く、連日デッキでギラギラと太陽を受けて行われた。早いステップや腰のフリを要求される。まどろこしくて裸足になると足が火傷しそうに熱い。(貧しい地域。子供に夢を持たせようと1階にペインティング)

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 サルサのコツは、女性は下半身(特に腰)を主に動かし男性に身を任せる。男性は女性とは反対に上半身(特に肩)を動かす。一番大事なことはパートナーと見詰め合う事。うわ~ぁ大変。これッて一般的な日本人には大・苦手と思うのだが・・。毎回数人が呼び出されて講師と踊る。私の番もあって1,2,3,とリズムを自分でとっていたら「女性はカウンしてはいけない。パートナーに身を任せなさい」と言われてしまったッけ。(来訪者用にスペース作ってあり。記念に書いて下さいと奨められた)

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 数種類習ったが、夫々のダンス毎にフリには意味があった。例えば雄鶏が雌鳥の気を引こうと伺い、更に相手に接近しようとチョッカイを出したり引いたりし、ツイに意気投合して踊るといった具合に解説を交えながら教えられた。動作のみに留まらず表情も伴わなければならない。本家2人のダンスは、意味が解ってみると如何にもそれらしく観察されてとても滑稽であった。(車窓より。外は強い陽射)

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 いくら理解はしてもそこは日本人。気恥ずかしさが先にたち私達の習性としてそんなに表情豊かに踊れやしない。Peace_boat_622 日本でも動きの激しい踊りは沢山あるが、「伝統的芸能である能・狂言・歌舞伎は勿論、盆踊りを初めとする踊りは静かで、おごそかな動きが多いんだから~」と一人ごちる。そして最後の夜は集中コースメンバーによるサルサの競演と、会場全体の人々がキューバ音楽に乗って全部連なり、所狭しと走り回った。汗と埃まみれになったことは言うまでない。(1つで満腹しそうな串刺し。傍らで生演奏と彼らのCDの販売)

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55)中東専門家高橋氏

2006年08月08日 | ピースボート世界一周

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 TVで中東問題といえば、中東の専門家としてよく酒井啓子、高橋和夫氏を見かけていた。その高橋氏がラスパルマスから乗り込んで来た。彼はTVと同様に柔和で少し恥じらいを含んだような表情を見せつつTVの裏側を含め語ってくれた。(高橋氏の写真はなし。私たちに付き合ってくれた学生が学ぶ大学へ)

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 紙上でインタビューを受けて、この船に乗った理由を社会主義国が少なくなってきているので見ておきたかった。将来キューバ危機についてのTV番組も作りたいと答えている。(目抜き通りはスペイんの色濃い街並)

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 毎回の講座のテーマは、超大国アメリカの世界戦略(どうやってこんな大国になったのか)。悪魔を育て、悪魔を叩くアメリカの戦争(本当のテロリストは一体誰なのか)。戦争の民営化、米軍占領下のイラク(アメリカ兵側からイラクを見てみよう)といった具合だった。

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 「そうなんだ~」と理解しつつも、傾聴のあまりメモを取り忘れていた。が、結論的にいえば情報があふれている昨今、情報は送る側に都合の好いように操作されやすいから自分の目で見る事。インターネットで世界に自分の意見を発信して欲しい。今や戦争すらも民営化(日本人も現地で雇用され虐殺された)される時代となった。だからこそ尚市民としての力、声を上げて欲しいとのメッセージであった。(大広場。ここで大集会が開かれるのだろうか?ゲバラの壁像は塔と向かい合わせ)

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 なおキューバで青年が下船した。語学留学のためトロントへ向かうという。19才の囲碁の好きな若者で「将来やりたい事が多すぎて、先がはっきり見えてこないけれど、英語を学びながらやりたいことを見据えたい」と船内新聞に紹介してあった。学びの途上で問題意識を持って行動するこんな青年に拍手。(畑仕事の後、手動式の圧搾機で砂糖きび100%のジュースを振舞ってもらい美味しくてお代わりをした)

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ニューファミリー

2006年08月05日 | 捨て猫の独り言

 このように好き合っているから安心してねと親に伝えているのだろう。若い二人は親の前でさりげなく抱擁する。ちょっと目を離すと長椅子の上で重なっていたりする。こちらは寛大な大人を演じようとしてうろたえる。

 吉本隆明はつぎのように発言する。母親の心理状態は子供の無意識の形成に影響を与え、子供の性格の大部分は一歳未満で決まっちゃう。だからその頃に夫婦仲が悪いとか、経済的な心配事があったりすると、母親の胎内にいる子供は萎縮して動きが鈍くなる。「こんな子供は本当は欲しくなかったのに」 と思って母親がいやいやお乳をやっていたりすれば、そうした心理状態も子供に移っちゃいます。覚悟して若い二人を祝福するのは気分のいいものだ。元気な女の赤ん坊は 「すみれ」 と名がついた。いつでもいつまでも祖父母は孫の世話をやきたがるものと娘が思い込んでいるふしがある。時々尋ねて来てくれるからいい。毎日子守をするなんて冗談じゃないこれは誰の子だとなる。

 聴覚、視覚、臭覚、味覚、触覚のうち聴覚を早く獲得するのではないか。たらいの衝撃音には全身で反応していた。視覚は初めはぼんやりと明るさが分かるぐらいと言われる。けれど赤ん坊にすべての像が見えているかのように思いがちだ。こちらから仕向けたことだが、乳首と間違えて抱っこしている私の二の腕にしゃぶりついた。吸引力強くキスマークがついた。別の日に同じことを仕向けるとまずい味の筈なのに同じ事を繰り返した。味覚はまだまだのようだ。泣くことは拒絶と思っても、原因は別にあって、あきらめずに哺乳瓶を押し当て続けるとミルクを飲み始めたりする。こちらの予測ははずれることが多い。口周りを刺激すると笑顔になる。親でないから未分化の状態を冷静に観察できる。そして自分の若かった頃のことを思い出す。こんな刺激が孫からの贈り物だ。

 二人は5月に産まれたばかりの赤ん坊を連れてアメリカに帰国した。8月の中旬には帰る。東海岸のアトランタまで行き、乗り換えてノースカロライナ州のウイルミントンまでの長旅だ。2週間の滞在中に婿殿の父親の結婚式もあるという。このように世界は広く大胆である。

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54)キューバの有機農法

2006年08月04日 | ピースボート世界一周

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 以前農業ジャーナリストの大野氏より、現在進行している農におけるグローバリーゼーションの危機について学んだ。今回は「皆で百姓をしよう」と題して、ハバナ農業大学で教鞭をとっているロサ女史より内容の濃い3回の講座を受けた。(土返しは重かった)

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 1回目は「キューバに学ぶ」で、何故世界が注目する有機農業大国迄になったか?キッカケは冷戦が終わり、ソ連の崩壊と同時にアメリカの経済封鎖のダブルパンチを受けたことにあった。食料、石油、医薬品の途絶といった危機的状況下で「首都を耕し、有機的に作物を作らざるをえなかった」。そして今や輸出国にまで成長したのだという。(碁盤目のケースに播種作業)

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 2回目は「キューバの都市農業とは」で、一見結びつきにくい両者だが自給率を上げる為に、全国の都市面積の46%が都市農業をやっている。そのためのシステム作りとして、種や作物の直売店、相談窓口の常設、指導者の育成、全国レベルのセミナーや会議、病虫害の研究や対処法、果ては土改良の為のごみコンポストやミミズ作りなどビデオを見ながら学んた。(堆肥、ミミズ作り)

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 3回目は「世界に広がる有機農業」と題し、キューバモデルは国境を越えたとして、都市農業が社会的、環境的側面から報告された。危機的状況下から次第に体制を整え、200万都市のハバナで食料の完全自給を達成した。 Peace_boat_692 地球に優しい有機農法は食糧自給のみならず、雇用形態、教育システム、環境問題、食文化、健康面にも多大な影響をもたらした。自給率が低く、効率一辺倒の今の日本でどのようにキューバモデルを活かせるだろうか?仲間の一人は帰国後農業大学に通い始めたとメールをもらった。私自身は次の一歩が踏み出せるだろうか?(農地の一角では農作物の直売と大事に使われていた旧式の車、農業体験をしたグループ)

 

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53)ヤッター!総合優勝

2006年08月01日 | ピースボート世界一周
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 やってきました当日。兎にも角にも多くの人を呼びこまなければならない。アチコチの通路に立ってデッキへと誘導したのはいうまでもない。多くの人がひしめき合って(乗客の7割724人参加)開会宣言がなされ、人数の確認が始まった。ここで先ずポイントを稼げた。

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 玉入れ、忍耐ぶら下がり、障害物リレー、2人3脚人力車(2人3脚の各人が3人目の人の足を片方づづ持ち、両手で歩かせる)、水入れリレー、昼食後は応援合戦、ムカデ競争、頭脳競技(今流行の脳トレーニング様)、3輪車リレー、綱引き、騎馬戦と抱腹絶倒、白熱した競技の連続だった。大縄跳びに於けるアクシデントとはメンバーが当日辞退。練習なしでいきなり40代以上の部で交代要員を出し、20回がヤット。(子供用三輪車。足が廻しきれず、ハンドルも壊れて途中棄権も)

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 各組の応援合戦も見ものだった。セレモニーあり、ダンスありでアイデア(美しさ、力強さ、スピード、異年齢層の混合度)を競いあった。赤組の団長はアフロヘアーを頭頂部で縛り、筆として使い白紙に「秋」としたためて皆の度肝を抜いた。4組いずれ劣らず見事であったがヤッパリ赤組のタップダンスは群をぬいていた。アイデアが出されたときからこれはいけると予感したとおりだった。(団長が頭髪で書いた字。見ながら書いたわけではないのに見事なバランス)

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 そしていよいよ結果発表。バナー賞。応援賞。いずれもトップ。競技は後れをとっていたにも拘らず「総合優勝」と全ての賞をもらった。Peace_boat_590 景品は「波へい一時間飲み放題」であった 暑い最中、日焼けも厭わず(気にはなったけれど対策も効なく)参加した面々の笑顔ははじけ美味しいビールをご馳走になってこの船旅一番の楽しい思い出となった。(赤組集合!もっといたけれど。祝宴には200人位は集ったろうか)

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