ときどき夢を見る。楽しい夢は見たことがない。苦しい夢ばかりだ。大学を何年も卒業できずにいる夢。仕事の準備が終わらずに追い込まれる夢。記憶に強く残る私の夢はおおよそ、この二つでそれが数年間隔でくり返して現れる。そして夢は日常が始まると、すぐに忘れ去られてしまう。わけもなく息苦しくなって目覚めるようなことは無くなった。
睡眠中の人体の記憶装置の底から古い記憶が脈絡もなく強く表出されて目覚めた時の記憶の表層に現れたものを夢と呼ぶのだろうか。睡眠中に静かに記憶装置の中でうごめいている断片も夢と言えるならば人は夜毎に自身でも気づくことのない夢を見ていると言えなくもない。さてあなたはどんな夢を持っていますかと聞くことはあっても、どんな夢を見ますかとは聞きにくいものだ。(写真は昭和記念公園内の日本庭園にて・楓、五葉松、サンシュユ)
戦争を体験した私たちの親世代の人々はどのような夢を見ることがあったのだろうか。その人の年齢や立場や場所や状況などの違いによってさまざまな体験があり得るわけだ。実際の体験談を聞くことも貴重だが、終戦後にそれぞれの人たちがどんな夢を見たのか、現実の体験とは別に夢の体験というのも興味深いことのように思える。若年期に軍人として各地を転戦した自分の亡き父に夢のことを聞いておかなかったことが悔やまれる。戦争と同じで、予想以上に大きな自然災害も人々の心に大きな傷を残し夢に現れることがあるだろう。
人は何がしかの消し去りたい記憶を抱えて生きるのではないか。私の場合は、子供の頃にお手伝さんがわが家に短期間だけいたことがある。その若いお手伝いさんに陰湿な付け文をして嫌がらせをした。、少年の頃に読書感想文の宿題が間に合わなくなった。そこで掲載されていた優秀作品を書き写して提出した。どちらも加害的行為である。ところで先の遠野物語の講演で講師の方が、これらは「事実譚」だと強調しているのがとても不思議だった。しかしカッパの話なども、あまりにも過酷な現実の毒を散らすために性被害者が加害者をカッパに置きかえて語り継いだのかもしれない。遠野物語を事実譚という視点を手放さず読むことも一つの面白い読み方だと思う。
老年までのトラウマ、とうとう男は、広場で罪を告白、大声で懺悔し、切腹した。
実は、その純情娘はしたたかもので、別な玉の輿にのり、捨てた男などとうに忘却のかなた、幸せな晩年であったらしい。
自虐という、男の思いこみ、自己愛ロマンであった。
「森の中落ち葉の音に足はやめ」がその時の句である。
幾つになっても忘れられない。