家の門柱はつぎのようにできている。厚さ2cmの黒っぽい細長い石の組み合わせの層があり、その上にセメントの層という具合に交互に積み上げられている。高さは大人の胸ぐらいだ。30段ほどの横縞模様の門柱である。門柱のデザインについて私は関知していない。いつの頃からか門柱の上には、砂浜や渓谷の小石やシーサー(沖縄の焼き物の唐獅子像)が無造作に置かれ、門柱の根元の草陰には帆立やサザエなどの貝殻が雨ざらしになって置かれている。私には岩石や鉱物に執着する癖がある。旅先の砂浜や渓谷から常に小石を拾って持ち帰る。食べ物と違って小石のおみやげはいつまでも残る。
高知県の桂浜には五色砂と呼ばれるつやつやとして色鮮やかな小石がころがっている。形はいろいろ、大きいもので親指ほどである。持ち帰った70個ほどの小石が透明なプラスチックの小箱に入って私の机の上にある。その傍には中国の桂林あたりで買った直径5cmほどの大理石の球が紙の小箱に2個納まっている。手のひらで転がす健康増進器具である。奄美の加計呂麻島の入江から持ち帰ったのは赤褐色をした厚さ2cm強の平坦な形の石だ。これは文鎮としても使える。
動物や植物は養殖したり、栽培したりして新しく作りだせる。しかし鉱物や岩石は人力で作りだせず、一度掘ってしまったらそれっきりである。ソ連邦で買った記念品の一つは素朴な木枠で囲れているたて20cmよこ15cm銅板の浮き彫りだ。室内で絵を描く子供とそれを眺めるもう2人の子供という図柄だ。あと一つは銀白色で高さ15cmぐらいの金属製のドストエフスキーの胸像だ。二つとも原材料は鉱石でしかも安価なものだ。
岩石は火成岩、堆積岩、変成岩に大別される。小石をこの3つに分類することさえも私たちにとって困難なことだ。しかし当然のことながらすべての小石にはそれぞれに名がある。目に触れるありとあらゆるものに名をつけることを学問というのだろうか。地球が誕生したのは46億年前、化石として残るような生物が発生したのが約6億年前だ。このように言い切るところが凄い。小石が存在した時間にくらべると人の一生なんてまさしく一瞬である。3ケ月の船旅に出た人の、私への土産は南太平洋のイースター島で手に入れたという2つのものだ。一つは濃緑色をした比重の大きい小石。これは拾ったものという。もう一つは堂々とした豹紋があるつややかな子安貝であった。両手でやっと包み込めるほどの立派な大きさだ。これは土産店で貰ったものという。私はそれで十分満足だった。