つぎのやりとりに二人のすべてが現れていると思う。【編集部】島尾さんは三島文学についていかがお考えですか【島尾】ぼくは、読んでいないんですよ【編集部】三島さんは、島尾さんのことを、たいへん評価していますね【吉本】きっと、細大もらさず読んでますね【編集部】たとえば吉本さんの場合は「資本論」と「聖書」とファーブルの「昆虫記」というのが、自分の思想形成の根本になっているとお書きになっていますが、島尾さんの場合、そういうものはございますか【島尾】ぼくは、ないでしょうね。非常に雑な読書をやってきましたからね【編集部】やっぱり体験というか、ご自分の資質というものが「核」になっている・・・【島尾】そこのところは自分でもわかりません。
島尾敏雄は奄美に移り住むために、発作の妻と二人で横浜港の白龍丸のデッキにいた。見送りの人たちの中には吉本隆明もいた。そのときのことを島尾が回顧している。《テープがいくつ投げられたのだったか。でもいっこうにうまくつかめない。と吉本が丸窓に足をかけ、船腹をつたって私たちの居る甲板によじのぼろうとした。ほんとうにどうやってのぼってきたろう。繋ぎ網がさがっていてそれにつかまり、船腹に足をかけてあがってきたのか。出港合図の汽笛も鳴っていて、危ない!と声を出そうとしたとき、彼は手すり越しに私にテープをいくつか手渡していた。まじかに彼のあつい皮膚の顔を見た。私は胸のあたりがさわぐのを覚えた。彼はすぐにのぼって来たようにおりて行ったけれど》