梅雨が明けて日照が戻った。目の高さにゴーヤが一つ二つ小さな実をつけているのに気づいた。さらに見上げると10センチほどに成長した実が五こほどぶら下がっている。一時的であれ、今年は実をつけないのかと悲観していた。ゴーヤの前で一人空咳をする。放置していても育つ茗荷は、天候に関係なくこの時期に例年通りに顔を出している。(ゴーヤとヤマユリ)
鹿児島県徳之島の当時世界最長寿であった泉重千代さんは、好きなタイプの女性はと聞かれて「私は甘えん坊なので、やはり年上かのう・・・」と答えたという逸話がある。毎晩ちびりちびりやる黒糖酒が楽しみだった。
養老孟子先生は、小学生から「お爺ちゃんでも虫取りをするんですか」と質問され、「ちがうちがう、虫を採っていたらいつのまにかお爺ちゃんになっていたんだよ」とあわてて返事をしていた。
蝶になって飛んでいる夢を自分は見た。飛んでいる時は明らかに蝶であったのに、目が覚めると荘子である。蝶であると思っている自分と、荘子と思っている自分はどう違うのか。「胡蝶の夢」について辞書には「自他の区別を超越してしまっている境地の例え」とあった。たとえば現実に銀河を仰ぎ見ている自分がいる。そしてまたその自分は目を閉じて内なる銀河を見ることができる。(瞼を押さえると光が見える) このような現象のことだろうか。