ほとんどの子どもは雨降りが大きらいだろう。梅雨が本格化して長雨が続いている。色とりどりのアジサイが生き生きと咲き誇っている。天からの恵みの雨だ。日照りが続いたら耐えられない。宇宙船地球号の大気圏内における水の循環を思い浮かべて神妙な気もちになる。まもなく16日には、孫娘とその母親の三人がアトランタから成田に到着する。
6月9日の毎日新聞(その他は東京・琉球新報・沖縄タイムス)の朝刊に、意見広告が掲載された。「沖縄の民意を力で押さえつける安倍政権。安倍政権を退陣に追い込み、日本政府が沖縄の自己決定権を奪い植民地扱いしてきた差別政策を終わりにし、この国の民主主義と住民自治を取り戻す時」などを主張している。また、この日は国分寺の労政会館で「沖縄・佐喜眞美術館館長の佐喜眞道夫 講演会」が開かれた。
自宅から会場までは自転車で30分もかからない。今にも降り出しそうな空模様の中を出かけた。沖縄の宜野湾市にある普天間基地に隣接して佐喜眞美術館は1994年に開館した。佐喜眞氏が粘り強く交渉して先祖代々の土地の一部を返還させたのである。そこだけ美術館が基地に食い込んだ形になっている。「原爆の図」の丸木位里・俊夫妻の「沖縄戦の図」が常設展示されている。私は少人数の高校生を引率して1999、2000、2005年の3回この美術館を訪れた。
席に着いてすぐに、補聴器がこの会場の音響設備では役立たないことが判明した。津田塾大学の講座で大丈夫だったが設備環境によるということだ。印刷物を頼りに辛抱するしかなかった。また、あごひげ束ね髪の青年が沖縄戦における米軍の艦砲射撃がテーマという沖縄口の歌を三線で朗詠した。これはよく聞こえた。いつもながら、ネット検索でいろいろ知ることになる。佐喜眞氏は疎開先の熊本で1946年に生まれ、立正大学を卒業して鍼灸師をしていた頃に埼玉県東松山市の丸木夫妻と出会う。