「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候」 これは良寛さんが親しい人へ宛てた地震見舞いだという。自然の摂理というものをわきまえて心を定めていることが災難というものをのがれる唯一の方法ということだろうか。地震災害の発生の時や、海の見えない巨大な防潮堤建設問題の時に私は良寛さんを思い浮かべる。
四苦八苦とは仏教の苦の分類だ。「生老病死」の四苦と、それに「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五陰盛苦(ごおんじょうく)」を加えた八苦である。ここで「苦」とは「苦しみ」のことでなく「思うようにならないこと」を意味するという。「生苦」とは生きていることは自分の思い通りになることよりも、自分の思い通りにならないことがはるかに多いという指摘だ。(小金井公園にて)
「五陰盛苦」の「五陰」というのは「色・受・想・行・識」で、その中の「色」は「肉体」で「受想行識」は「精神作用」という。だから「五陰盛苦」とは人間の肉体と精神が思うにならないということになる。「この人生は苦である」という真理を腹の底から悟った瞬間、その人は苦から解放されるという。苦から逃げようとすると苦は追いかけてくる。(桜餅を包むオオシマザクラの葉と庭の梅の木の窪みに咲くスミレ)
歌人の河野裕子さんは「人間を含めたすべての生物が宿命的に逃れられないのが三つある」と言った。はてなと考えて一つだけはすぐに思いついた。歌人が言うには「生まれ合わせた時代から逃げられない。自分の身体の外に出ることができない。必ずいつかは死ななければいけない」だった。身体の外へ一歩も出ることができないのは「心(精神作用)」のことだろうか。