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玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*沖縄への旅(四)

2012年12月01日 | 沖縄のこと

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 心配された旅行中の天気も終わってみれば2日目の午後に雨に見舞われただけだった。3日目は10時発のフェリーで伊江島を離れた。まず58号線を北上して大宜味村の芭蕉布会館を目指す。この日の気温は25度を超えていたのではないか。会館のある喜如嘉集落にはゆったりした時間が流れ静まり返っている。休館日の下調べをしていなかったことに気付いたが後の祭りである。日曜休館とあって見学はできない。集落にはイトバショウと呼ばれる背丈の低いバショウの林があちこちに見られる。ちょうど正午になってにはスピーカーから懐かしい「芭蕉布」の沖縄メロディが流れた。

 国頭村で昼食をとり、Uターンして沖縄自動車道を許田ICから西原JCTまで一気に南下する。知念半島にある琉球王国最高の聖地である斎御嶽(せーふぁうたき)を訪れた。御嶽とは南西諸島に広く分布している「聖地」の総称だ。この御嶽の中でも三庫理(サングーイ)と呼ばれる二つの巨大な鍾乳石からなる神域は印象深い。巨大な石が寄り添って出来た三角形の空間の突きあたり部分が拝所となっている。拝所から東側の海の約5㎞に平坦な姿の久高島が望める。この久高島で生まれ育った30歳を越える既婚女性はイザイホーの儀式を経て神女になる。イザイホーは12年ごとに行われる。来訪神を迎え、新しい神女をその神々に認証してもらい、島から去る来訪神を送るというものだ。島の過疎化が進み1978年を最後にこの儀式は行われていない。

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 御嶽をゆっくり見学して331号線を引き返して行くと、近くに知念岬公園があった。ハンググライダーが五つ、六つ潮風に乗って岬の上空を気持ちよさそうに旋回している。うまくコントロールできるものだと感心するばかりだ。インストラクターが後についているのだろう2人乗りで飛んでいるのもある。高所恐怖症の私には無縁なスポーツだ。民宿「海野」の夕食には近海で獲れたソデイカの刺身が出た。一階の二間をぶち抜いた大きな仏壇のある部屋に、二つ並べた低い食卓には白いテーブルクロスがかけられている。どの部屋も掃除がゆきとどいて気持ちがいい。年老いた母と女主人である娘が調理している姿が座敷から見える。

 4日目は朝早く8時半に糸数アブチラガマに入る。アブとは深い縦の洞穴、チラとは崖、ガマとは自然洞窟のことである。沖縄戦時、もともとは糸数集落の避難指定場所だったが、日本軍の陣地壕や倉庫として使用され、戦場が南下するにつれて南風原(はえばる)陸軍病院の分室となった。軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊が配置され、全長270mのガマ内は600人以上の負傷兵で埋め尽くされたという。南部撤退命令により病院が撤退したあとは、糸数の住民と生き残り負傷兵の雑居状態になった。ガマに入るとすぐにそこは漆黒の闇だ。先導するのは女性のガイドさんである。懐中電灯がなければ動けない、ヘルメットがなければ頭をぶつける。腐臭悪臭そして断末魔のうめき声を想像することはつらい。ガマ見学の予約にあたり受付の方が早い時間帯を割り当ててくれた。そのおかげでこの日も時間を有効に使うことができた。

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