玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*玉川上水の再発見

2010年10月18日 | 玉川上水の四季

 今朝の新聞一面の見出しは「官民で水事業ファンド」だった。「水ビジネス」についてつぎのように解説していた。浄水設備の製造や上下水道の敷設、完成後の事業運営など様々な水道関連事業を指す。こうした事業を一貫して手がける会社は水メジャーと呼ばれ、仏のベオリアとスエズの2社が有名だ。民営化された水市場は給水人口ベースで8億人とされ、うち2億人以上を2社が占める。こちらは古い話になるが神田上水は江戸時代に江戸に設けられた上水道で日本の都市水道の嚆矢である。その神田上水とともに二大上水と呼ばれるのが玉川上水である。

 だいぶ前になるが我家の訪問客に近くの玉川上水についての質問を受けながら私は十分な説明ができなかった。最近になって時間的余裕ができたこともあって私の玉川上水の学習が始まった。そして思い出したのが息子が中学3年の時にまとめた「生き返るか玉川上水」と題した自由研究レポートである。上京していた亡き父がレポート作成に協力的で実地調査に出かける二人の姿などが思い出される。24年前の清流復活の年でマスコミも大きく取り上げていた。息子のレポートが掲載されている冊子をあらためて読み直してみた。これをきちんと読んでいれば私はかつての訪問客の質問に答えることができていたと反省している。

 人口の増加にしたがい貯えることをしない給水方式は見直され、多摩湖(村山貯水池)狭山湖(山口貯水池)や小河内ダムなどが造られていく。新宿副都心計画で淀橋浄水場が廃止され、昭和40年に小平監視所より下流への通水が停止された。小平監視所は我家から3キロほど上流にあり昭和38年に完成した。そこから12キロ上流の羽村の取水口までの区間は現在でも満々と多摩川の水が昔のままに流れている。多摩川の水はこの小平監視所でごみ処理されて水道の原水としてここから直径2mの送水管で東村山浄水場に送られている。空堀になった小平監視所より下流に地域住民の要望により再び水が流れたのは21年後である。これがいわゆる清流復活である。

 ここに流れている水は下水処理水である。当初は悪臭もあったがそれはさすがに改善された。しかし処理水はどうしても水温が高く生息できない生物もいるはずである。処理水に多摩川の原水を混ぜて水温を下げられないかという議論もあるが、利根川水系に多く依存している東京都が「ただ流すだけ」に多摩川の水を使うわけにはいかないということだ。玉川上水を管理するのは東京都である。環境局、水道局、教育庁、建設局である。教育庁は上水に生育する桜並木の育成、保護施策を担当する。水道局は今年から10カ年整備活用計画なるものを開始する。これは野草などのためのこもれび確保や日照障害世帯に対する対策としての高木の伐採が主な事業のようだ。

コメント (2)
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