世界一周の一通過点であった筈のアフリカは、今となっては私の心を釘付けにする地点となった。同じ地で偉大な友人2人を永久に失ってしまったのだ。 (ピーターも2、3日後昏睡のまま死去。右上のピーターの写真はなぜだか拡大できません)
サバンナの広大で乾燥した赤土。茂みや草原をノッソリあるいはすばやく走る野生動物たち。そのサバンナを車列をなし赤土をけたてて走るサファリーカー。観光客むけのロッジは見事に設備されホテル並みに快適そのもの。食事も美味で豊富。しかもテラスの目前には水場が設けられ、朝夕は水を求めてやってくる動物達を居ながらに鑑賞できる仕組みになっていた。
頭上に水のボトルを載せ路上を素足でゆっくり歩く婦人達。車が通るとあどけない笑顔をみせたり、何か頂戴とばかりに手を差し出す子供達は戦後の日本で見られた風景ではなかったか?男達も仕事場に向かっているのだろうか、歩いている姿を多く見た。ゴミ焼き場だろうか?自然発火だろうか?くすぶる野原。その近くにはビニール等が散乱している。この分では蚊やハエも発生していることだろう。
商売人は団体客を相手に上手な値段交渉をしてくる。客は言葉を充分に操れない。貨幣価値の違いで高いのか安いのか分からない。「欲しい」場合は販売員と何とかヤリトリする。そして販売員が責任者らしき人と最後の値段交渉をして折り合うか決裂する。そんな具合だった。その店では計算機がないのか、メモ用紙に書き付けては思案していた。一人の客が自分の計算機と商品の交換を条件に出すと商談は即刻決着した。
多くの先生方もshoppingに余念がなかったけれど、 kumarはお弟子さんのために?ジャンベを求めていた。kumarの柩に載せられていた見慣れた服や周りに並べられていた装飾品、置物、お面、などもこんな風に一つ一つ丹念に求めていった物だったろうか。
kumarのみならず、他の米国人も「自分自身のアイデンティティに戸惑う」と表現している。kumarがアフリカにこだわったのもジャンベや音楽であったことは確かだが、アイデンティティの戸惑い故にアメリカとは対極の所に身を置いたのではないかと私には思える。