あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

偕行社カフェでランチ

2024年05月03日 05時31分54秒 | 歴史散歩
3月28日訪問。丸亀市の丸亀藩京極家の大名庭園、中津万象園を見学後移動して善通寺市の偕行社カフェに到着。

時刻は既に午後1時を回ってます。日替わりランチを注文。

ライスとパンを選択出来る。見ればライスはダイシモチ麦いりと書いてあるのでライスを選択。飲み物に熱い紅茶。豚肉が美味しい。
さて、当初の計画ではランチの時に共通の友人に絵葉書を書くつもりだったのですが、万象園に絵葉書はなかった!もしかしたら偕行社カフェに絵葉書があるかも?と探しに行ってみたけどなかった。けど、隣接する偕行社を見学できるって。

偕行社カフェの入り口近くに展示してあった模型です。中央にあるのが旧偕行社。
せっかくなので見学することに。

いただいたパンフレットによりますと?
偕行社:明治10年(1877)に創立された陸軍将校の親睦及び学術研究を目的とする団体の名称です。
偕行社という名の建物は師団が開設された場所全てに存在していましたが、現存するものは少なくなりました。
明治29年(1896)善通寺町に開設された第11師団は、日清戦争後の陸軍拡張期に増設された6師団のうちの一つで、「旧善通寺偕行社」は第11師団の将校たちによって明治36年(1903)5月10日に竣工しました」

貴賓室



照明が素敵だったので撮影。

小会議室。現在も会議室として使用中。だからかテーブルとイスは変えた模様。
偕行社カフェに戻る。外に出たらメニューがランチからデザートメニューに変更されてました。

時刻は既に午後2時を回っており、ランチタイムから変更ってことですね。

最後に正面の玄関を撮影。中央の陸軍の星が目立ってます。
実はポツポツと雨が落ちてきました。もう少し散策してもいいのですが。雨が本格的になる前に善通寺さんにお参りに行きたい。

善通寺に到着。雨が本格的に降ってきて、傘を出す。
あれ?左奥に見えるは桜ではなかろうか??
時は3月28日です。あの桜は??ソメイヨシノではないと思う。

はい、違う〜。しかも既に見頃を過ぎている。
調べましたらこの桜は「涅槃桜」という、ソメイヨシノより一足先に見頃を迎えるのだそう。
ではお参りを。

どれにしようかな?
病気平癒の蝋燭を購入して火を灯します。
善通寺は少し変わってまして。駐車場に使いのは空海さんが生まれた西院の誕生院。東院には金堂があり、両方に参拝するのが習わしです。
ちなみに、善通寺さんの境内にある売店でも「絵葉書ありませんか?」をしたのですが「昔は置いてたんだけどねえ」でした。
今時のお遍路さんも絵葉書を出さなくなったのね。かつては旅先からハガキを出すのも旅の楽しみだったんだけどね。私は自分宛に旅先から出してました。旅の思い出ファイル。

さて、お参りも終わったし。雨はまだ降ってるし。これからどこかへ行くのではなく、久々に再会した友人達と友人の家に寄ってお茶とお話に花を咲かせて楽しく過ごしました。(おしまい)
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柿本人麻呂の歌碑

2024年05月02日 05時20分55秒 | 歴史散歩
丸亀京極藩の大名庭園、中津万象園に柿本人麻呂の歌碑があるというので探してみれば?
よ、読めない〜!!
今、NHKの大河ドラマは紫式部が主人公ですね。時折まひろちゃんが書く手紙も出て来ますが、あれ、ひらがなですよね?
え〜と?ひらがなっていつ出来たのか?
webによりますと、ひらがなは、中国から伝来した漢字から日本で派生したものです。西暦900年ごろの平安時代に、その前の奈良時代を中心に使われていた万葉仮名に代わるものとして、ひらがなが広がったと言われています。古来、漢字で表されていた文章は、画数が多く面倒だったため、日本人は省略して書くようになります」だそうです。ということは漢字だらけの歌碑は、飛鳥時代に生きた柿本人麻呂の使っていた「万葉仮名」で書いてあるのだな。
wikiによりますと、紫式部の生没年ははっきりしてませんが、大体西暦970年?から1031年?くらいの人らしい。
ついでに藤原道長は生没年がはっきりしていて、966年生まれ〜1028年死去。
おまけ:柿本人麻呂は660年生まれ〜724年死去。飛鳥時代の歌人。
一応説明版もあったので、歌碑を解説、いや、現代語訳してみます。
冒頭より「玉藻吉(たまもよし)」「讃岐國者(讃岐の国は)」「國柄加(国からか)」「雖見不飽(見れども飽かぬ)」
「神柄加(かむからか)」「幾許貴寸(ここだ貴き)」「天地(あめつち)」「日月与共(ひつきと共に)」
「満将行(足り行かむ)」「神乃御面跡(神のみおもと)」「次来(継ぎきたる)」中乃水門(中の湊ゆ)」
「従」「舟浮而(舟浮けて)」「吾傍来者(我が漕ぎ来れば)」「時風(時つ風)」ここまでが歌です。

続いて説明板によりますと、歌に出てくる「中乃水門」がここ中津万象園付近のことなのだとか。
1300年前に柿本人麻呂が香川県の現在金倉川と呼ばれている河口の中乃水門より船出して、現在の坂出市の沙弥島に渡りこの句を詠んだそうです。
飛鳥時代に何故都から香川県まで来たのだろう??ともあれ、平安時代のひらがなも書き文字だと読めない自信があるけども。万葉仮名は更に難しい。漢文とも違う〜。
ついでなので「短歌の歴史」もwebで検索かけたらば、今から1300年前に作られた5・7・5・7・7からできている詩のこととある。ということは、柿本人麻呂の歌碑は短歌だったのね。分かるか〜!!だって漢字の数が5・7・5ではないではないか!訳がわからない。私には高度過ぎです。

ところで、実はこの日ちょっとした計画があった。
大学時代の3人で中津万象園を訪れたのだが、先月学科は違うけど大学時代の友人から引っ越しハガキが届いた。共通の友人だったので、ぜひ引っ越しお疲れハガキを3人の連名で出したいと思い、新しい住所と切手とボールペンを持参していた。観光地なので絵葉書を買えばいいと思つてたのですが。
なんと!
今時の観光地には絵葉書を置いてなかったのです。
マジでっ!?
まさか!そんなっ!
で、デデデでも大丈夫。次のとこに絵葉書があると思うのだ。凹みかけた気持ちを立て直し。

さて、中津万象園を訪れる目的の一つにお食事処の懐風亭さんでランチが食べたいというのが会った。
けど予約が満席につき断られた。そんなことある??と思いつつ駐車場に到着した時に謎は解けた。
観光バスが数台停まってたのだ。見れば愛媛の伊予鉄系や徳島の徳急系。おそらく3月に入りお遍路の本格シーズンに入って観光客が増えてる模様。懐風亭さんも観光客向けの懐石が人気なのだろう。
ってなことで、友人の提案で善通寺さんの偕行社カフェのランチへ予定変更です。(続く)
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丸亀うちわミュージアム

2024年05月01日 05時34分09秒 | 展覧会&観光施設&能楽
4月3日から4月6日まで、3月28日に丸亀で大学時代の友人達と会った時のことを連載しました。けれどなかなか咲かなかった桜が一気に見頃を迎え連載を中断して桜の記事を優先させました。あの時の続きを今日から3回に渡り投稿します。
まずは丸亀京極家の大名庭園、中津万象園内にある丸亀うちわミュージアム訪問から再開です。

こちらうちわミュージアム入り口にある彫刻。鳥がいっぱい。

いろんな形のうちわがあり、面白そうなのを撮影。

ちなみに、昭和の美人のうちわ。

おそらくうちわがあちこちで一番利用されていた頃のデザインではなかろうか?
ちなみに、私が相模原在住時にゲットしたうちわのうち、自衛隊でいただいたあれこれは捨てずに香川に持って帰りました。
義母が取り置いてるうちわもまだある。綺麗なのはドレッサーの下の扉の奥に立ててしまってます。けどさ〜、時代は持ち運ぶ扇風機なんかだよね?今時の若い子はうちわをどう仰いで使うか知らないのではなかろうか?
あ。話が逸れた。
丸亀うちわミュージアム:元々うちわの港ミュージアムとして別の場所にあったものを、丸亀うちわミュージアムとして、令和5年3月25日に中津万象園内にリニューアルオープン。
私たちが訪問した時にはちょうど職人さんがうちわを制作してらっしゃいまして。既にひと月が経ち記憶も朧なのですが、丸亀うちわの制作工程は全部で47もある。本来はそれぞれを請け負う業者がいたが、現在は職人が一人でほとんどをこないしている。例えば、材料の真竹は職人が自分で竹林に取りに行っている。とか。職人さんは話をしながら手元の真竹を手品師のごとく軸を細かく割っていき、ぐい〜〜っと一気に曲げてうちわの骨を作って見せてくれた。もう大感動!そしたらば「やってみますか?」と。竹の先を割り裂いてるけど、まだうちわっぽくない軸を客に手渡し「やってみて」と。
もちろん挑戦した。
けど真竹はびくともしなかった!敗北し隣の人に回し。その人も失敗して次へと。この作業工程は「もみ」と言ってうちわ作りの最初部分です。職人と言っても実演されているのは伝統工芸士さん。友人は名札をみて、売り場にズラッと並んでるうちわから伝統工芸士さんの作品を探して購入していた。プラスチック製の安いプリントを貼った量産品とは訳が違う。全て手作りの品なのでお高いのです。けど数千円で収まるのだから、労力を考えるとリーズナブルではなかろうか?
ちなみに、職人さんの話の前半部を私はトイレに行ってて聞き逃した。痛恨のミスだった。やらかした。

こちらは工程別に展示してる場面。
さて、次は。いただいたチラシによりますと、万象園に入ってすぐにあった柿本人麻呂の歌碑を見逃してたのだ。探そう。
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