あられの日記

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清澄庭園の名石と秋の花

2019年10月05日 05時35分47秒 | 展覧会&観光施設&能楽
2019/10/1訪問。清澄庭園は石のテーマパークのよう。明治の政商岩崎弥太郎が明治11年(1878)に庭園を含む一帯約3万坪を取得。造園しました。名石が大泉水の周囲に置いてある。パンフレットによりますと「名石は伊豆石・伊予青石・紀州青石、生駒石、佐渡赤玉石、備中御影石、讃岐御影石。これらは庭園に据えられた庭石の代表的なものです。このほか敷石や橋、磯渡り、枯滝の石をふくめ、園内には無数の石が配置され、さながら「石庭」の観を呈しています。これらの石は、岩崎家が自社の汽船を用いて全国の石を産地から集めたものです」とある。江戸時代はお殿様が石を運び、明治になると政商が石を運ぶ。日本人は石が好きだなあ。やはり「石」がステータスの象徴だったんだろか?
トップ画像は池の周囲の散策路から中の島へ続く橋です。
橋の上から撮影。画面左下に橋が少し写ってますね。けどここは石橋ではない!なぜだろうか?
あ!萩の花!秋の代表的な花です。
そして中の島から築山の富士山を望む。
池の周りの散策路に戻りかけて、名石の立て札を見つけた。え〜と?47)秩父青石。
続いては九重塔と名石。46)伊豆石。
ん?奥に何かあるみたいだ。
分かります?説明文をよく見て欲しい。石質:安山岩(小松石)とある。てっきり信仰か、庭園の飾りで集めた石彫かと思いきや、これも名石コレクションだったんです。WIKIによりますと、「小松石じゃ古くから上質の石材とされる。真鶴半島でしか採取されない石として本小松石がある。」と出てます。香川県の庵治石、岡山県の万成石と並んで最高級品なんだって。あ〜何か思い出した。一昨年だったか、横須賀の米軍基地を歴史散歩したのですが、基地内にあるドッグが小松石で作ってあったわ。帝国海軍が作った古いドッグです。
43)伊豆石。ちなみに、池の奥に見えるのは鶴島です。池には周辺散策路からいけない小さい島が2つあります。
築山の富士山の裾野の枯滝。これまた凄い名石ですね。
手前が40)紀州青石。奥が伊豆磯石。画像では大きさがわからないと思いますが。
タイミングよく逍遥してる人が来た。これでサイズがわかるかな?あ。手前にも名石の札がある。これは伊豆磯石
真鶴石。

ここで池の周囲の散策路を外れ自由広場へ移動。赤い彼岸花の色が目に飛び込んできたのだ。
む〜ん?実は朝小田急に乗っていたら人身事故が発生し、電車が止まりました。新宿到着が遅れ、予定の散策コースは無理だった。都営大江戸線の中で訪問先を取捨選択。なぜに清澄庭園を選んだかといえば、ホームページのツイッターにここの彼岸花と萩の花のコラボ画像が上がっていたのです。それが素敵だったのだ。けどもね。もう見ごろを過ぎてしまってました。む〜ん?何とか絵になる場所はないか?


こんな感じに撮影してみた。上の画像の左に見える丸い島は、花菖蒲です。あと、もひとつ上の画像奥にキッチンカーが写ってます。
広場の奥に芭蕉句碑があります。逆光だったので読みずらいかな?「古池や〜」の句が彫られてます。説明板発見:清澄庭園より北北西に400メートルほどのところに深川芭蕉庵跡があります。
松尾芭蕉は、延宝8年(1680)から元禄7年(1694)まで、門人の杉山杉風の生簀の番屋を改築して、芭蕉庵として住んでいました。
かの有名な「古池や〜」の句は、この芭蕉庵で貞享3年(1685)の春、読まれています」
池の周囲の散策路に戻ってきました。奥に築山の富士山と枯滝が写ってます。(続きます)

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