あられの日記

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旧芝離宮恩賜庭園で秋模様を探す

2019年10月03日 11時49分42秒 | 展覧会&観光施設&能楽
2019/10/1訪問。今年の彼岸花は例年比1週間から10日も見頃が遅れたので、日本庭園に咲く彼岸花と松を楽しみつつ、秋っぽい風情を感じれる場所を探します。
奥に見えるは大岩。旧芝離宮恩賜庭園が、延宝6(1678)年に小田原藩主大久保忠朝が上屋敷として整備した場所。庭園内にたくさん岩が散らばってるのは殿様の趣味だったのか?岩好きな人にオススメの庭園です。トップ画像と下の岩山は、根府川山と名付けられてた場所。
私も若い頃には岩に興味はなかったんだけどね。〜〜ン?もしかしてブラタモリでタモリさんが地質や岩のネタをたくさん紹介してくれるかも?あの番組をよく見てるユーザーさんならば同意してくれるかな?
橋をよく見れば1枚岩だった。お殿様の自慢だったのかも?ほらさ。江戸時代って参覲交代があるから、お殿様は江戸に2年ごとに江戸に参勤し、1年経ったら国元へ引き上げる制度です。ということは、お殿様は江戸に詰めてる時間が長い訳で。〜〜暇だったんじゃないかな?時には友人の家へ遊びに出かけたりしたかも?そんな時自慢もしたい訳で。となると、世界一の庭園都市だったお江戸。お殿様たちは趣向を凝らした庭園を作ったのではなかろうか?中には国元の景勝地を再現したり、気軽に旅行出来なかったお殿様に、全国、いやさ中国の景勝地や物語を再現したテーマパークなお庭が江戸のあちこちにあったのかも?そんな思いをはせるにぴったりなんだよね。10月1日の都民の日は、お庭巡り〜!!
で、小田原藩のお殿様は、国元や伊豆石を船で運んで庭を造ったのかも?自慢できる岩があちこちにあるんだもの。
説明板発見:九尺台(九盈台)
「九尺」とは高さ、「盈(えい)」ろは水や月が満ちるという意味です。
海の波打ち際に造られたこの高台は、いつ造られたものか不明ですが明治天皇が明治8年にこの庭園に行幸された際、この台上から、海で漁民達が漁をする様子や海の眺望を楽しまれたところです。」
今ではすっかり埋め立てが進み、九尺台の向こうもビルがあって海は見えません。
あれれ?中島に向かう八つ橋が通行禁止になってます。
説明文がある。「木橋の通行止めに関するお知らせ。旧芝離宮恩賜庭園の木橋は、老朽化に伴い安全確保が必要なことから、改修までの当面の間、通行止めとさせていただきます」さよか〜。中島の松や石組みも見たかったんだけどな。ちなみに、反対側から中島に行けると思う。
こんな橋があった。この橋はさ〜、確か水戸黄門な徳川光圀が小石川後楽園に中国の江南の橋を再現して一躍大名達に熱狂的に受け入られた橋だった気がする。
パンフレットには西湖の堤「中国の杭州(現在の浙江省)にある西湖の堤を模した石造りの堤。堤の先にある中島の石組みは、楽壽園の頃からのものです」とある。やっぱり〜。
今は渡れない八つ橋。いつ改修出来るか説明文に書いてなかったなあ。
滝石組。んん??水面の下に何か見えるぞ?
石の渡り橋かな?それが水没してた。これはどういう意図なんだろうか?確か芝離宮の水位は今は海水を取水してないから一定のハズ。かつては潮の満ち引きで現れてたのかも?もしくは関東大震災で沈下しちゃったのかも?庭園ツアーなんかで識者に聞けばわかるかも?にしても、このへんが秋の気配が漂ってる。気合いを入れて撮影してみよう。
まずはガマの穂です。先日大和市泉の森公園でもみかけたガマの穂。あそこも池の岸にガマの穂があったのですが、ベストな撮影場所を探しきれずいい感じに撮影出来なかったのだ。満足〜。
ん?あそこに見えるのは亀ではないか!モデルゲット〜!!
ちなみに庭園の真ん中にドカンとあるこの池ですが、大泉水と言います。庭園の要で約9.000平方メートルの広さ。確か庭園全体で43,175平方メートルなので、池の庭に占める大きさがわかるかと。
こういうの、浜離宮でも見たなあ。あ。説明板発見:海水取入口跡。
「潮入りの池」に海水を取り入れるために、設けられた水路です。
水路の石垣や鋼鉄製の水門の遺構が見られます。
現在は海とのつながりを絶たれ、淡水の池になっています。」やっぱり〜。ということは現在は池の水位に上下はほとんどなんだね。
奥は藤棚。公園のパンフレットに写る藤の花もここのものと思われる。で、手前に現在はききょうの群落がありました。
離宮時代の洋館。関東大震災で敷地内の建物の全てが灰燼に帰した。
 
離宮時代と江戸時代の庭園です。
さて、時刻は早くも11時34分。次行ってみよう!
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