あられの日記

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旧芝離宮恩賜庭園2019/10/1

2019年10月02日 21時34分24秒 | 展覧会&観光施設&能楽
10月1日は都民の日です。複数の公共施設が入園無料になるのでピックアップ。並べてみると、都営大江戸線沿線の施設が複数あったので、今回は都営1日券(700円)を使って、旧芝離宮恩賜庭園・浜離宮恩賜庭園・清澄庭園・江戸東京博物館・向島百花園へ行くことにした。今年は彼岸花の開花が遅かったから、日本庭園と彼岸花の素敵なコラボ画像をゲットしたいなあ。
けども、前々日に突然旦那が「10月1日に人間ドック予約したから」と言いだして、出発が1時間程遅れることになった。仕方ないなあ。けどおかげで通勤ラッシュの電車に乗らなくてすんだ。まあ小田急はいつも混んでるから座れないんだけどね。新百合ケ丘駅で普通電車から急行に乗り換える。もちろん立つ。けどまあ新百合ケ丘ー新宿間は急行なら30分程度だし〜。
あれ!?電車が一向に駅から出発しない。何かあったんだぁ〜。案の定「登戸駅で人身事故が発生しました。全線で運行を見合わせています」だって。
む〜ん?幸いというか、停まってるのは成城学園前駅です。新宿よりで停まったから、そんなに待たずに動くんじゃないかなぁ〜?
甘かった〜。いつ動くんだこれ??ってなワケで、新宿に到着した頃には既にヘロヘロでした。記念に遅延証明書をもらってきた。トップ画像です。
そんなこんなで大江戸線の車内で移動しつつ行き先を絞り込む。浜離宮はパスしよう。
大門駅到着。一つ目の旧芝離宮恩賜公園までB2出口から徒歩3分。公園のホームページに掲載されてたツィッター画像が彼岸花だったんだよね。
最寄り駅は大門駅。JR浜松町駅側なので、外国人の乗り降りも多かった。で、公園に到着したのは既に午前10時52分にもなってました〜!!マジかぁ〜。遅くなったのはともかく、1つ目の訪問先だというのに早くも疲れてるのがマズいわ〜。
実は芝離宮は初めて入るんだよね。楽しみ〜。
では早速。
いただいたパンフレットによりますと、「旧芝離宮恩賜公園の面積は43,175平方メートル。池泉を中心とした回遊式庭園で、その地割りと石組みは秀逸です。この地はかつて海面でしたが、明暦(1655−1658)の頃に埋め立てられました。延宝6年(1678)に老中大久保忠朝の邸地となりました。忠朝は上屋敷を建てる際に、藩地の小田原から庭師を呼び寄せて作庭し、これを「楽壽園」と命名しました。
その後、数氏を経て、幕末には紀州徳川家の芝御屋敷となりました。明治4(1871)年に有栖川宮家の所有になりましたが、同8(1875)年に宮内省がこれを買い上げ、翌年に芝離宮となりました。大正12(1923)年の関東大震災によって、建物と樹木のほとんどが焼失しましたが、翌13(1924)年1月、昭和天皇のご成婚記念として東京市(都)に下賜され、庭園の復旧と整備を施して、同年4月に「旧芝離宮恩賜庭園」として一般に公開されました。」
知識補完。
大久保忠朝(ただとも)とはどういった人物か?
WIKIによりますと、相模小田原藩主。小田原藩大久保家3代。生誕寛永9年(1632)-死没正徳2年(1712)。徳川吉宗が世に出るきっかけを作った人物。旧芝離宮恩賜庭園は、忠朝が4代将軍徳川家綱から拝領した庭園が原型となっている。
サービスセンターを抜けると真っ赤な彼岸花の花色が目に飛び込んでくる。少々見頃過ぎですが、まだ十分に美しい。


雪見灯籠州浜。
立派な石もある。
大山。園内で最も高い築山。
上ると絶景。あれ?この庭って明暦の頃に埋め立てられるまでは海だったんだよね?ということは築山も全て人造。しかも江戸時代。無茶するなあ。
大山の側に枯滝。大きさがわからないと思いますが、奥の一番大きな岩は人の背丈より大きいです。石は贅沢品。庭にどれだけ石を配置するか?はステイタスだったんだろうねえ。でもさ、大久保氏の邸地ということは、小田原藩だからあそこなら石は豊富かな?小田原から船で運んでこれるし。
何かあった。説明板発見:石柱
この石柱は、小田原北条家に仕えた戦国武将の旧邸から運ばれた門柱です。
ここが小田原藩(大久保家)の上屋敷であった当初、茶室に使われていたといわれています」
関東大震災の折に樹木はほとんど焼失したとのことですが、わずかに大きな木が庭の南側に残っていた。背後にでっかいビルがそびえていて、せっかくの整った樹形を楽しめないのが残念だ。
大きな切り株跡も。池の側に残ってます。(続きます)

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